“古典とは、名前はみんな知っているが、だれも読んでいない”
上記の言葉は、学生時代に、英文学者の奥井潔先生(1924~2000)から教えていただいた言葉です。
そういわれてみると、確かにそうかもしれません。
例えば、日本の古典文学を考えてみても、国語や歴史の教科書に必ず出てくる、紫式部の『源氏物語』の名前は、大人であれば誰でも知っています。けれど、実際にすべてを読んだ人は、かなり少ないと思います。恥ずかしながら、私もその一人です。大和和紀のマンガ、『あさきゆめみし』は読みましたが。
「古典とは、名前はみんな知っているが、だれも読んでいない」のあとに、奥井先生は、「古典を理解することは偉大さを理解することである。そのためには、人格的成熟が必要であり、若者が古典から入るのは無理である。であるから、読書は乱読が王道である。青春時代は、まず、万巻の書を読むことだ」と続けられました。
つまり、できるだけたくさんの本を読め、ということです。
そう言われても、若者は生意気なものです。背伸びをしたくなります。大学生なのに古典文学を読んでいないなんて格好悪い。そう思って、学生時代の私は、西洋の古典文学に挑戦しました。
案の定、途中で投げ出してしまったものがたくさんありました。また、最後まで読み通してはみたものの、「ただ読んだ」というものもたくさんありました。
まあ、青春時代の背伸びも、決して無駄ではありませんが。
あの頃から、二倍以上生きてきた今、思います。
二十歳前後の若造が、古典を理解できないのも無理はないのだと。
奥井先生がおっしゃったように、私のような凡人が、古典を理解できるようになるためには、それなりの人生経験が必要なのですね。
さて、私の最近の楽しみは、寝る前に、蒲団の中で日本の古典文学を読むことです。
昨年のNHKの大河ドラマは、おもしろくなくて、途中で見るのをやめてしまいました。自分としては、かなり珍しいことです。見るのをやめたかわりに、『平家物語』を読むことにしました。
これが、最高におもしろかったのです。
歴史的背景も、人間関係も、けっこう複雑なのですが、その複雑なところが魅力なのです。
付録の桓武平氏や清和源氏、天皇家・藤原氏の系図や、合戦略図や略年表を見て、ふむふむと納得しながらページを繰る。至福の時でした。
これに味をしめて、現在、『太平記』を読んでいます。これも、またおもしろいです。
『平家物語』や『太平記』といった手ごわい古典文学を、心底楽しいと思えるのは、やはり、それなりに年を重ねてきたからなのでしょうね。いや~、歳をとるのも悪くないものです。
若いみなさんも、いつかはオジヤン、オバヤンになります。嫌だといっても、必ずその日がやって来ます。覚悟しておいて下さい。
そのとき、この駄文を思い出してくれたらうれしいです。
とりあえず、若い今は、手当たり次第に、たくさんの本を読んでみるといいです。
今年、みなさんがすばらしい本に出合えることを願っています。
『Step By Step 1月号 第183号』 (2013年1月8日発行)より