もうすぐ立春、暦の上では春になります。
春といえば、平安初期の歌人・在原業平の次の和歌を思い出します。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
現代語訳: | この世に、もし全く桜というものがなかったならば、咲くのを待ちこがれたり、 散るのを惜しんだりしなくてすみ、のんびりとした気持ちで過ごせるだろうに。 |
在原業平は、桜のすばらしさをこのように詠みました。
ところで、この世に、「もし受験というものがなかったら」、どうなのでしょうか?
「受験勉強なんて意味がない。子どもの頃に勉強したことなんて、どうせ忘れてしまうのだから」、このようなことを言う大人もいます。
でも、本当にそうでしょうか?
確かに、子どもの頃に勉強した内容を、大人になってもすべて覚えているという人はあまりいないと思います。勉強した内容は、大人になってからの仕事には直接関係ない場合が多いでしょう。この点だけを考えれば、受験勉強に意味はないと思えるかもしれません。
しかし、受験勉強を通して身につく力は学力だけはないのです。他にもたくさんあるのです。
たとえば、目標を定め、計画を立て、それを遂行していくことで実行力が身につきます。辞書や参考書を開き、自分の力で問題を解決する、解決しようとすることで、問題解決力が身につきます。また、苦しみながらも試験日までに出題範囲を終わらせるということを通して、締め切りを守るという習慣も身につきます。
これらは、社会に出て、仕事をしていく上で、たいへん重要な能力です。
さらに、中学校までに学ぶ内容が身についていれば、ちょっとした教養人といえるかもしれませんね。たとえば、世界情勢を知ろうとする場合、国や国家間の歴史を知っていなければ、正確に理解することはできないものなのです。
私は、受験という「人生のハードル」に対して、まじめに向き合ったとき、人は大きく成長できると考えています。もちろん、入学試験には定員があるので、思った通りの結果にならない場合もあるでしょう。しかし、人生という視点に立てば、その悔しい思いさえも成長の糧になるのです。
このように考えれば、受験を通して身につく力は計り知れないと思いませんか?
塾生のみなさんには、受験を通して大きく成長して欲しいと願っています。
さて、県立高全日制の一般選抜入試まで、あと1か月ほどとなりました。
当塾の中学3年生は、この一年間、一人ひとりが大きく成長していると感じています。
授業のない日も自習室に来て、毎日黙々と勉強している塾生がいます。問題集に付箋を貼り、教材をぼろぼろになるまで使い込んでいる塾生がいます。添削を希望して、週に何枚も作文を書いてくる塾生がいます。昨日実施した模試では、休み時間に教材を開いたり、仲間と内容を確認し合ったりと、最後まで気持ちを切らさずにがんばっていました。
引き締まった、いい顔つきになった中学3年生をみて、頼もしく感じています。そして、同じ志を持った仲間と、励まし合いながらがんばったという記憶は、一生の宝となるはずです。その思い出の一部に、尚朋スクールが残っていたら、これほどうれしいことはありません。
「サクラサク」春は、もうすぐです。あと1か月、がんばれ受験生!
『Step By Step 2月号 第233号』(2017年1月30日発行)より