今朝、妻が、鉢植えで育てている薔薇の花を切って食卓に飾った。
庭にある鉢の薔薇もきれいだけれど、食卓に飾った薔薇もまた美しい。鼻を近づけると桃のような良い香りがする。
部屋に花や植物があると、生活の質がぐっと上がる気がする。
そして思い出すのが石川啄木の次の歌だ。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
歌人・石川啄木の魅力は、その精神の振れ幅の大きさだ。
「俺は天才だ!」と思ったら、次の日には「俺はもうダメだ」と絶望したりする。この振れ幅が面白い。
人間だれしも気持ちの浮き沈みはある。それでも何とか折り合いをつけて生活しているのが大人というものだ。しかし、歌人・啄木は常人ではない。精神の浮き沈みが激しいし、その浮き沈みに命を懸けているといった印象がある。そこが啄木の最大の魅力である。
歌人としてはすごく魅力的な啄木だが、その生活は破綻していた。友人、知人、会社に借金をしまくり、平気で踏み倒す。「借金を返さなきゃ、でも返せない」と窮地に陥った時、たった一晩で、壁に物を投げつけるように何十首も歌を作ってしまう。
その歌は、今でも我々の心を大きく揺さぶるのだ。
啄木、本当は小説家になりたかったのだけれど。
ときどき妄想する。
自分が啄木と同時代に生きていて、啄木の友人・知人だったとしたらと。
きっと私は「嫌な奴」とか「迷惑な奴」と思ったはず。喧嘩別れしたかもしれない。
今、純粋に作品のみで啄木と対話できるというのは、後世に生きる者の幸せというべきか。
中学生の頃に買い、黄ばみ、ボロボロになった啄木の歌集、久保田正文編『石川啄木歌集』(旺文社文庫、280円)は私の宝物である。