第6回 「二松学舎大附属―山梨学院」観戦記

今日は中学3年生の国語の授業がある日。
基本的に、授業がある日は朝早くから活動しないようにしている。しかし、今日は例外だ。なぜなら、春季関東地区高等学校野球大会で、二松学舎大附属高(東京2位)と山梨学院高(山梨1位)の試合があるからだ。
この日のために授業の準備は昨日までに済ませておいたので、曇天の中、車で宇都宮清原球場へ向かうことにした。

関東大会というだけあって観客は多かった。グリーンベルトには車がびっしりとあった。そして、今日も臨時駐車場(キャノン)が設けられていた。
臨時駐車場から球場へ歩いて行く途中、第一試合の観戦を終えて、駐車場に向かう人たちとすれ違った。監督の采配などに文句を言っていたグループが数組あった。その中には、「推し」のチームのキャップを被っている人も。監督の采配に文句を言うのもチーム愛あってのことである。

入場時に、ちょっと驚いた。
次男(大学1年生)の高3時の担任で野球部監督のK先生が、スタッフとしてお仕事をされていたのだ。K先生にはたいへんお世話になった。まさかK先生にまたお会いして、お話しすることができるとは思っていなかったので、とてもうれしかった。

今日の私の「推し」のチームは二松学舎大附属高である。
二松学舎大附属高は先攻なので三塁側ベンチを使用。ファンは、普通であれば応援するチーム側の席に座るものだが、あえて一塁側に座ることにした。二松学舎大附属高のベンチの中の様子を観察したかったからだ。
私は、二松学舎大附属高の市原勝人監督のファンなのだ。
市原監督はかつて二松学舎附属高3年の春に、センバツで準優勝投手となった人である。それほど大きくない体で、表情を変えず、時には笑顔を見せ、一人で淡々と投げ続けていたその姿に、中学生だった私はすっかり魅せられてしまった。1982年のことだ。
市原監督自身が左投げだったためか、二松学舎附属高野球部は左投げの投手が大好きだ。今年のチームのエースナンバーの布施東海投手も左投げ。そして、今日先発した背番号10の辻大雅投手も左投げだ。

二松学舎大附属高のユニホームは、アイボリーの前開きシャツ。首と袖、パンツに大学のスクールカラーのグリーン(松葉緑)のラインが入っている。そして、左胸には縦に「二松学舎」という文字。文字が縦書きというところ、前身が漢学塾だけのことはある。
文豪の夏目漱石や柔道家・教育者の嘉納治五郎は二松学舎で学び、実業家の渋沢栄一は3代目舎長(今の学長といったところか)を務めたというのは有名な話。

市原監督は、ベンチ奥の右端(一塁側スタンドから見ると左端)の壁に背中をつけて座っていた。試合中はあまり動かない。その姿は、故野村克也監督のようだった。

試合は終始、1回裏に2点をとった山梨学院有利の展開で進んだ。曇天から小雨になり、傘をさしながらの観戦となった。私は上着を忘れてしまったので、寒さに震えての観戦になってしまった。
6回裏が終わったところで「二松学舎大附1―6山梨学院」。雨脚も強くなり試合は一時中断となった。私はこれを機に帰ることにした。

球場を出る際も、出入り口付近でK先生が誘導の仕事をされていた。
お邪魔かと思ったが、次男の近況や野球部についてお話しさせていただいた。
この場にK先生がいらっしゃるということは、他のスタッフの方々も高校の先生なのかもしれない。そういえば、グランドやスタンドには宇都宮北高のユニホームを着た球児たちがいて、裏方の仕事をしていたっけ。
多くの人たちの支えがあって、高校野球ファンが試合を楽しむことができている。
感謝をしなければと思いつつ、激しい雨の中、帰路についた。

※試合の結果は「二松学舎大附4―8山梨学院」であった。