以下はご本人の承諾を得た上で書く。
今年の5月某日。
Bさんからお手紙をいただいた。
Bさんとは約16年のおつき合いになる。
2006年の8月に、「八月の会」主催で、Bさんの朝鮮半島からの引き揚げ体験を真岡でお聞きする機会があった。私は当時小学2年生だった長男と一緒に参加したのだが、それ以来、年賀状や手紙の遣り取りが続いている。
「八月の会」の第一回目のイベントだった。
ネットで調べたところ、「八月の会」は今も続いているようで、現在は真岡市教育委員会共催、下野新聞社・真岡新聞社後援となっていた。
2006年当時、Bさんは73歳だったそうだが、とても若々しく、可愛らしい女性だと思った。
終戦を朝鮮半島で迎えたBさんは当時13歳だった。
ソ連は日ソ中立条約を破棄し、朝鮮半島に進攻した。
Bさんの母親は、13歳だったBさんの顔に墨を塗り、頭を丸め、女の子とわからないようにしたそうだ。ソ連の攻撃を受けながら、両親と叔父一家と逃げていた。その途中で天涯孤独となってしまった。
長崎出身のBさんは、縁あって真岡のBさん夫婦の養女になり、真岡の地で長年美容室を経営されていた。
現在は、Bさんのお弟子さんがこの美容室を引き継がれている。
2006年の夏、それまで語ったことのなかった辛い引き揚げ体験を、涙ながらに話して下さったBさんの姿は今でも忘れられない。
今年5月に頂いた手紙の中に、引き揚げ者の体験談などの書籍や資料などを私に受け取ってほしいと書いてあった。
予定を合わせて、真岡の喫茶店でお会いした。
Bさんは、お弟子さんの運転する車でお見えになった。
約16年ぶりの再会だった。
Bさんは89歳になったと言われていたが、とてもお元気そうに見えた。
約1時間、3人でいろいろなことを話した。
別れ際に、段ボール箱2箱分の書籍や資料、朝鮮半島の手作りの地図などを受け取った。
果たして、私のような者がこのような貴重な資料を受け取ってよいものかどうか、正直戸惑っている。
しかし、Bさんから託されたのだから、これらの資料を少しずつ読み進め、戦争体験を次の世代に伝えていかなければと思った。
Bさんは七夕の日に日本に戻って来られたと話していた。
今年の七夕は、もうすぐだ。