統一教会と自民党、統一教会と安倍晋三元首相の深い関係が明るみになってから、「週刊文春」を買って読むことが増えた。
雑誌なので、注目の記事以外もぱらぱらとページをめくって読む。
その中に、とても興味深い連載コラムがあった。
歴史学者・清水克行さん(明治大学商学部教授・日本中世史)の「室町ワンダーランド」だ。
私が読んだ数回分のコラムでは、清水さん自身のこれまで、歴史に興味を持った子供時代、大学時代などのことが書かれていた。
私自身、大学時代は文学部史学科に所属していて、清水さんと同じ時期に学生時代を過ごしていたので、清水さんのコラムはとても懐かしい感じがする。
9月1日号、第17回の「室町ワンダーランド」は、『先生との出会い』というタイトルで、清水さんとその師である藤木久志さんのことが書かれていた。
とても心温まる文章であったが、その中に、以下の一文があった。
歴史学界では、研究者の名前を呼ぶとき、「~先生」とは呼ばずに、どんな偉い先生であっても必ず公の場では「~さん」と呼ぶ習慣がある。
そして、清水さんは、「研究者は互いに対等」という考えに基づいてそのような習慣になったと書いている。
確かに、史学科に所属する学生や大学院生は、研究者の名前を呼ぶとき「~さん」と言っていた。
先輩方がそう呼んでいるから、私もなんの疑問も持たずに同じようにしていたが、そのような深い理由があったとは。
大学を卒業して30年くらい経つが、この理由を知ってちょっと感動してしまった。
ちなみに、農学部出身の妻に聞いたところ、歴史学界のような習慣はないそうである。