9月26日に、末期がんのため義父が亡くなった。享年87歳だった。
ここ数年、入退院を繰り返していた。
義父が亡くなる10日ほど前に、私は妻や子供たちと共に退院して一時帰宅していた義父を見舞いに行った。
そして、その日が義父と話した最後の日となってしまった。
義父はベッドに横たわり、すっかりと痩せ細ってしまっていたが、一生懸命に話そうとしてくれた。
かすれ声であったが、いつものユーモアある発言に、つい何度も笑ってしまった。
義父は、最後まで明るく、前向きに生きようとしていた。
29日に告別式があったが、とても温かいものだった。
葬儀委員長のあいさつも、喪主の義兄のあいさつもどちらも心がこもっていて、つい涙ぐんでしまった。
義父が周りから愛されていたことが伝わってきた。
祭壇に飾られた遺影は、2年ほど前に長男が撮影したものだ。
私の長男は、高校、大学、大学院時代の9年間写真部だった。
義父は、病状が悪化する前に、孫である長男に遺影の撮影をお願いしていたのだ。
故人を偲ぶメモリアルコーナーには、義父の子供時代の一族の集合写真(義父は紺絣を着ていた)、若かった頃、働き盛りの頃、炬燵にあたりながら孫(私にとっての姪)を抱いている写真などがあった。
「百姓」ということに誇りを持ち、義母と二人で菊作りに精を出し、4人の子供を育てあげた義父。
その義父が、義母と二人で菊畑で働いている写真を見ると、つい涙が出てきてしまった。
私は、義父と政治の話をするのが楽しかった。
もう話す機会がないと思うと、とても寂しい。
告別式当日は、浅間山をはじめとした高い山々の上空に鱗雲が広がっていた。
そして、どこかから金木犀の香りが漂ってきた。
そんな秋らしい日に、義父は天国へ旅立ったのである。
合掌