第130回 樹木葬

以下は東京新聞(2024年9月19日)に掲載された拙文です。

負担少ない樹木葬 魅力

9月6日特報面「樹木葬25年」を読んだ。樹木葬を考案したのがお寺の住職さんで、すでに25年の歴史があるという。地元にも樹木葬を始めた寺院があり、新聞の折り込みチラシが入ってくる。

以前、神社が管理する樹木葬の墓地を見学したことがある。墓地は自然が豊かで静かな場所にあり樹木葬も良いのかもしれないと思った。価値観が多様化し、「墓は家族が守るもの」という感覚が薄れてきた。少子化、人口減少が進み、費用が安く、遺族の負担が少ない樹木葬は魅力的だと思う。

ただ、一つだけ気になったことがある。長い年月で大きくなりすぎた木はどうなるのだろうか。生前、父が庭に植えた木々が、予想以上に大きくなりすぎて途方に暮れている者としては、非常に気になるところである。

第129回 馬頭広重美術館の老朽化問題から

以下は下野新聞(2024年9月18日)に掲載された拙文です。

建築時に大切な維持管理の視点

開館から24年が経つ馬頭広重美術館の老朽化が進んでいるというニュースを見た。改修工事には約3億円という多額の費用がかかるそうで、那珂川町はクラウドファンディングなどで改修工事の資金を集めるという。

今年の7月、初めてこの美術館を訪れた。世界的な建築家の隈研吾氏による設計の美術館は、和風の雰囲気たっぷりでとても美しかった。ただ、木材を使った屋根などの傷みが激しく、維持するのは大変だと感じた。数年前、経営する塾の外壁の改修工事をした。外壁に天然の木を使用することも考えたが維持管理するのが難しいと判断し、このアイディアは断念した。

建築物は建てたら終わりではない。その後、維持管理するのに費用がかかる。建物を建てる際は、デザインだけでなく、このような視点も忘れてはならないと思う。

第128回 さびしい季節

さびしい季節がやってきた。
この時期になると、プロ野球を引退する選手、引退しなければならない選手のニュースが飛び込んでくる。

そんな中、先日、埼玉西武ライオンズの2人の選手の引退試合があった。
14日に岡田雅利捕手(#2)、15日に金子侑司外野手(#7)の引退試合があったのだ。
お二人は、2018年、2019年の2度のリーグ優勝に大きく貢献してくれた。

私は契約しているネットで、お二人の最後のプレーと引退セレモニーを見た。

FA(フリーエージェント)で他球団に移籍してしまう選手が多い中、岡田選手と金子選手は「生涯ライオンズ」の選手だった。
ライオンズファンとしては本当にありがたい選手だった。

岡田選手の登場曲は大事マンブラザーズの「それが大事」。
この曲で登場すると、球場全体が「おかだー!」と大いに盛り上がった。
岡田選手といえば、ピンチバンターで登場し、毎回しっかりと送りバントを決めてくれた印象が強い。
明るい性格でチームのムードメーカー、選手からもファンからも愛される選手だった。

金子選手は遊撃手と入団したが、外野手として花開いた。
盗塁王を2度獲得したが、金子選手といえば華麗な守備である。
帽子を飛ばしながらのファインプレーに、数え切れないほど感動させられた。
15日の引退試合でも、レフトフェン際のファールボールを滑り込みながらキャッチした。
前奏が長くて球場全体が盛り上がる金子選手の応援歌を歌えなくなると思うと本当にさびしい。

岡田選手、そして金子選手、長い間本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました!
いつかコーチとしてライオンズに戻ってきて下さい。

第127回 酒井順子著『消費される階級』

最近話題になっている本、酒井順子著『消費される階級』(集英社)を読む。

酒井さんはエッセイストとして長年活躍されているが、私が酒井さんの本を読むのは今回が初めてだ。
ただし、これまで新聞や雑誌などで数え切れないほど酒井さんの文章を読んできた。

本の帯に「日本人の階級意識をあぶり出す21の視点。」とあり、昭和からこれまでの「階級」の変遷が、「ゆる~い文体」で「ゆる~く」書かれている。

酒井さんと私は同世代なので、「昭和のあの時代は確かにそうだったよね」と思いながら読んだ。

日本の社会は大きく変わってしまった。
日本はすっかり元気がなくなり、衰退に向かっている。
今の政治を見ていると、ますます衰退するだろう。

こんな日本になってしまった大きな原因は政治にあるのだが、ダメな政治家(政治屋)を選んでしまった国民の責任は大きいのである。

『消費される階級』、最初から最後まで「ゆる~い内容」でした。

第126回 海といえば大洗

厳しい残暑が続いています。

ただ、朝晩は少しだけ涼しくなり、空も秋らしくなってきました。
このまま、早く本格的な秋になって欲しいものです。

今年は父の初盆だったので、お盆中はとても大変でした。
心身ともに疲弊しました。

そんなお盆が終わった17日の午後、帰省中の長男(社会人)と大洗サンビーチ海水浴場へ行ってきました。

約3年前の秋、高校生だった次男と大洗へ行って以来の海でした。

今回は長男の運転で、高速を使っていきました。
高速を使うと1時間ほどで行けるのですね。

海が近づくとテンションが上がります。

大洗サンビーチ海水浴場にはビーチバレーのコートがありました。

海は開放感があっていいですね。

栃木県出身の哲学者で作家の千葉雅也さんが、ずい分前に下野新聞紙上で、「栃木県民にとって、海といえば大洗」というようなことを書いていました。
これ、本当にそうだと思います。

海水浴シーズンに海に来たのは40年ぶり(?)だったので、久しぶりに「海の家」を見ました。
昔に比べて小さくなったような気がしましたが、どうなのでしょうか?

急に天気が悪くなったので、早めに引きあげてきました。
滞在時間は数十分?

帰りに近くの魚市場に寄り、エビとホタテを買ってきました。

大洗駅にも寄りました。
「海の近くの駅」という感じでした。

ポストも青です。

数時間の旅でしたが、リフレッシュできました。

最後に、20年前くらいに作った拙句を紹介して今回のブログを終わります。

砂の塔波が崩して夏果てる