第84回 立川談四楼著『談志が死んだ』

1月21日の東京新聞に、落語家の立川談四楼師匠のインタビュー記事が載っていた。
それを読んで、立川流の弟子たちの対談集『談志が死んだ ~立川流は誰が継ぐ』(講談社、2003年)を読み、その流れで談四楼師匠の『談志が死んだ』(新潮社、2012年)を読んだ。

談四楼師匠は七代目・立川談志の高弟だ。
私は談志のファンで、談志の高座を2回見たことが自慢である。
談志のCDはよく聴くし、年末にCDで談志の人情噺「芝浜」を聴くのが恒例となっている。

談四楼師匠は小説も書く噺家さんで、たくさんの小説を書かれている。
『談志が死んだ』は、入門から師の談志の死まで、自身と談志との関係と思いを書いた小説だ。

落語界の師匠と弟子という関係は非常に厳しいもの。
しかも、師匠が個性の強い、癖のあり過ぎる、あの談志である。
当然、尊敬、憧れ、嫉妬、葛藤、憎しみ(?)など、さまざまな感情が渦巻く。

小説『談志が死んだ』では、これらのことが包み隠さず書かれている。
さすが「小説も書く噺家さん」だ。
われわれ読者は怖いものを見るような感覚で、談志と弟子たちとのあれやこれやを知ることができる。
『談志が死んだ』は、たいへん魅力的な小説だった。

1983年、談志が弟子たちを率いて落語協会を脱退し、立川流を設立したのは、談志の弟子の談四楼さんと小談志さんが協会の真打ち昇進試験に不合格とされたことが原因。
その後の立川流の活躍は見ての通りである。

今日、2024年の2月25日は、落語協会が発足してからちょうど100年の節目の日。
その日にこの駄文を書いたのは、別に狙ったわけではありません。

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