歴史学者の本郷和人さんと作家・宗教学者の島田裕巳さんの対談集『鎌倉仏教のミカタ』(祥伝社新書)を読む。
お二人とも一般向けの本(新書)をたくさん書かれていて、私はけっこう読んでいる。
興味深い本が多く、毎回いろいろと勉強させていただいている。
このお二人による対談集、しかも私が興味のある「鎌倉仏教」がテーマということもあって、あっという間に読み終えてしまった。
副題に「定説と常識を覆す」とあり、まったくその通りの内容だった。
以下、とくに印象に残った部分。
中世には神と仏が混淆し、キリスト教神話にも匹敵する巨大で混沌とした精神世界が成立していた。だから鎌倉仏教は、宗派ごとにカテゴライズするのではなく、さまざまな要素が入り交じるものとしてとらえたほうがいい
(本郷氏、P208)
明治時代になって寺請制度がなくなり、廃仏毀釈なども起こり、各宗派は開祖が偉大な存在であるとアピールする必要に迫られます。そして、どんどん神格化され、存在が大きくなっていきました。
(島田氏、P215)
西洋には、連綿と続く哲学者の系譜がある。しかし日本には、残念ながらそのような人物が存在しない。だから開祖たちを持ち出して、その役割を担わせたわけですよね。
(本郷氏、P215)
そこからしても、やはり創作されたものだと思いますよ。宗派ができあがったことで、過去が変容させられているわけです。
(島田氏、P215)
宗教の教祖や開祖というものは、実はそんなものなのかもしれない。
お二人の対談の続きを読みたいと思った。