第40回 「二・二六事件」の日に

今日は「二・二六事件」の日だ。
東京新聞の朝刊「今日は何の日」に以下のように書かれていた。

陸軍皇道派青年将校によるクーデター事件。1936年2月26日の早朝、約1500人の兵士を率いて首相官邸などを襲撃。永田町、三宅坂一帯を占拠しました。

テレビで特集番組をやっていないかと新聞のテレビ覧を見たら、NHKBS1で特番の再放送をやっていた。
しかし、気づくのが遅く、見逃してしまう。
そのため、本棚から引っ張り出して、以下の3冊の該当部分を読むことにした。

  • 半藤一利著『昭和史』(平凡社)
    「第四章 軍国主義への道はかく整備されていく ~陸軍の派閥争い、天皇機関説~」
    「第五章 二・二六事件の眼目は『宮城占拠計画』にあった ~大股で戦争体制へ~」
  • 若槻禮次郎著『明治・大正・昭和政界秘史 古風庵回顧録』(講談社学術文庫)
    「第三章 政党時代 第十三節 砲車を牽く骸骨 斎藤内閣 暗殺また暗殺 軍備拡張に反対す」
  • 永井荷風著 磯田光一編『摘禄 断腸亭日乗 上巻』(岩波文庫)
    「昭和十一(一九三六)年 二月二六日、二月二七日」

二・二六事件は、陸軍の派閥争い(統制派と皇道派)が発端の軍事クーデターだ。
このクーデターは失敗に終わったが、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、岡田啓介首相と鈴木貫太郎侍従長が重傷を負った。
二・二六事件以後、軍部の発言が強化されるようになってゆく。

『明治・大正・昭和政界秘史 古風庵回顧録』は、私の学生時代の授業のテキストだった。
若槻禮次郎(1866~1949)は戦前に2回首相を務める。
今回再読した部分で、若槻は自分が所属する民政党の意見交換会で以下のように演説したと回想している。

(前略)国防の充実は財政との調和を計って行わなければならん。財政との調和を無視し、国民の負担を顧みないで軍備を拡張すれば、大砲は出来るだろうが、その大砲を牽く者は骸骨であることになる。

P348

さらに、民政党での演説会で以下のように発言したと述べている。

元来今日は、日本より進んで戦争をしかけなければ、いずれの国からも、日本は攻撃されることはないのである。故に国民は、断じてかかる詭弁(引用者注、軍備を充実しておかなければ、国家は不測の禍いを被ることになるという軍部の主張)に惑わされてはならない、と演説した。

P349

残念ながら、若槻の主張も虚しく、日本は戦争に突き進んで行ってしまう。
しかし今こそ、私たちは若槻の言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。

二・二六事件から87年目の今日、そんなことを思った。

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