第176回 長嶋茂雄さん、逝く

6月3日に、長嶋茂雄さんがお亡くなりになられた。
89歳、日本の戦後を代表するスーパースターだった。

6日の東京新聞は、20ページ中6ページで長嶋さんの訃報や偉業を伝えていた。
1面でも大きく扱い、コラム「洗筆」や社説でも取り上げていた。

長嶋さんは、「記録よりも記憶に残る選手」と言われていたが、残念ながら私は監督としての長嶋さんしか知らない。
それでも、長嶋さん関連の本はたくさん読んだので、そのすごさは感じていた。

写真はその一部。

監督としても華がある方で、選手よりも長嶋さんの方が目立っていた。
長年にわたり日本を明るくされた方である。

「ミスタープロ野球」の長嶋さんのご冥福をお祈りいたします。

第175回 柳広司著『パンとペンの事件簿』

柳広司著『パンとペンの事件簿』(幻冬舎)を読む。

物語の舞台は大正時代、1910の大逆事件後の話だ。

社会主義運動は「冬の時代」を迎え、社会主義者の堺利彦が「売文社」を経営し、厳しい時期をしのいでいた。
この「売文社」が舞台で、青年の「ぼく」の視点で物語は進む。

堺利彦をはじめ、大杉栄や荒畑寒村など、実在の人物も登場する。

本当は暗くて陰鬱な時代であったはずだが、この小説はときにユーモアを交えて、軽快に進んでゆく。
とても読みやすかった。

言論の自由や個人の尊厳などが少しずつ失われてゆきつつある今、この小説を読む価値はある。
ぜひ多くの人に読んで欲しい。

参考文献にあげられていた、黒岩比佐子著『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)は、家のどこかにあったはず。
探して、今度は丁寧に読み直したいと思う。

合格体験記

5月22日に、塾通信「Step By Step」の合格特集号が完成しました。
この中から、塾生を代表して書いてもらった合格体験記(5名)の感想をご紹介します。

~合格体験記~  ※入塾順

後輩のみなさんへ

真岡高  Aさん

僕は中学1年生の夏から尚朋スクールに通い始めました。入塾する前は、テスト前の勉

強はもちろん、普段の勉強もどうすればいいか分かっていませんでした。けれど、尚朋スクールに通うようになり、先生方のアドバイスを受け、勉強量が増え、勉強の質もよくなりました。また、苦手教科の点の取り方や得意教科の伸ばし方なども教えていただいたので、とても助かりました。

尚朋スクールでの思い出は、中3の夏期講習会です。夏期講習会は普段の授業とは違って、中1から中3の1学期までの総復習です。夏期講習会は本当にオススメです。また、講習会では塾長からおやつがもらえて、休み時間に友達と雑談をしながら糖分を摂取できました。とても楽しかったです。

授業のない日には、塾の自習室を利用するといいです。だいたいは自分以外にも何人か来ているのですが、自分一人だけということもありました。一人のときはちょっと悲しかったのですが、今となってはそれもよい思い出です。

このように、尚朋スクールはとても良い塾です。できるだけ休まずに通って下さい。
以下、僕から後輩のみなさんへのアドバイスです。

1つ目は、勉強方法です。得意教科については、まず教科書を読むといいです。もちろ

ん、ワークの難しい問題を解くのも良いのですが、やはり教科書を読むことが大切だと思います。その理由は、忘れていたことを思い出すことができたり、問題の解き方を確認したりすることができるからです。

2つ目は、勉強の習慣づけです。もし、今の段階で勉強の習慣づけができていない人は、

まず一日5分間でもいいからやってみて下さい。実際、僕はここから始めて、長時間勉強できるようになりました。

最後に、以前から尚朋スクールに通っている人、最近入塾した人、後輩のみなさん全員へ伝えたいことを書きます。どんなに面倒だと思っても、塾には休まずに通って下さい。尚朋スクールで培ったことは、将来必ず役立つと思います。どうか挫けずに頑張って下さい。

仲間と励まし合いながら

茂木高  Bさん

中学3年生になっても、私は自分が受験生であるという自覚を持てずにいました。中3

の夏休みになり、私は夏期講習会に参加しました。夏休み中に、やる人とやらない人との差が出ると聞いていたからです。夏休み後半には学校で実力テストがあるので、頑張ろうと思いました。

夏期講習会前半は頑張りました。講習会の前半が終わり、お盆休みに入りました。お盆休みには親戚が家に来たり、親戚の家へ行ったりしました。この期間はほとんど勉強ができませんでした。とても悔しい思いをしましたが、夏期講習会はたいへん役に立ったと思っています。

中3の2学期に入ってからは、過去問をどんどん解くようにしました。でも、最初はただ解いているだけで、自分の力になっていると実感することができず、勉強をすることが嫌になりました。

冬休みには冬期講習会に参加し、私立高受験に向けてラストスパートをかけました。これまでは毎年楽しく過ごしていた大晦日も、中3の年越し20秒前まで問題を解いていました。

私立高入試はまったく自信がなかったので、逆に緊張しませんでした。私が受験した私立高はマークシートだったので、けっこう勘でやったものもあり、合格できるか心配でした。合格したことを知ったときはすごくうれしく、第一志望校の県立高入試に向けて自信を持って勉強に取り組めると思いました。

2月になると特色選抜で合格内定した同級生もいて、うらやましくなりました。でも、自分がやるべきことは頭により多くの知識を叩き込むことだと言い聞かせて、とくに集中して社会の勉強に取り組みました。

入試前日、私は塾の自習室に来て、歴史で分からなかったところを中心に、友達と一緒に勉強しました。私はどうしても茂木高校に入学したかったので、「ダメだったらどうしよう」と考え、緊張しました。そのとき、先生方の「いつも通り受験すれば大丈夫」という言葉を思い出し、本番に挑みました。試験は完璧にできたというわけではありませんでした。けれど、入試前日に塾の仲間と確認し合った問題が出たのでうれしかったです。合格発表はすごくドキドキしましたが、友達もみんな合格できてうれしかったです。

私は中1の夏休みから尚朋スクールに通いました。そして、いつも楽しい雰囲気で授業を受けることができました。分からない問題は塾の仲間と教え合い、また、仲間とは励まし合って最後までがんばりました。仲間がいて心強かったです。塾の仲間には、志望校が私と同じ人が何人もいました。これまで一緒にがんばってきたので、全員が合格できてうれしかったです。

私にとって、尚朋スクールで過ごした時間はとても貴重なものです。本当に自分のためになりました。今までお世話になりました。

塾がすごく好きでした

真岡女子高  Cさん

私は母の知人にすすめられて、中1の1月に尚朋スクールに入塾しました。同じ学校の

子がいなかったので、すごく不安でした。けれど、益子中や田野中の子たちと一緒に勉強し、分からないところを教え合ったりして、楽しい時間を過ごすことができました。先生方は、分からないところは分かるまで教えてくださり、勉強に対する姿勢が変わりました。そのおかげで、学校の定期テストや実力テストの点数を上げることができました。

中学3年生になると、夏期講習会と冬期講習会がありました。この期間は土日を除いてほとんど毎日のように授業があり、塾で勉強しました。私は家ではなかなか集中して勉強できなかったので、塾でみんなと集中して勉強することができて良かったです。

私は特色選抜で受験したので、塾で面接と小論文の練習をしてもらいました。学校での練習は十分ではなかったので、塾で練習してもらえて本当に良かったです。とくに小論文については、毎回塾長に課題を出してもらい、たくさん練習できたので自信がつきました。面接の練習は、仲間の受け答えを聞いて参考にすることができました。面接の練習は授業後に行ったので少し大変でしたが、塾で練習させてもらえて本当にありがたかったです。

中学3年生になると模試を受ける回数が増えました。正直、一日で5教科を受けることは大変ですごく疲れました。けれど、毎回がんばって受けることができたのは、塾の仲間がいたからです。模試の結果が返ってきたら、みんなで成績表を見せ合ったり感想を話し合ったりして、やる気を出すことができました。

授業が終わって駐車場で迎えを待っている時、他の中学校の子たちと、お互いの学校のことを話したり、星や月の話をしたりしました。自分の学校以外の子たちと関わる機会を持つことができて、すごく楽しかったし、うれしかったです。いつも、「こんばんは」で始まり、「さようなら」で終わる塾がすごく好きでした。

2年間での変化

茂木高  Dさん

僕は尚朋スクールでの生活を通して、考え方が変わったことがたくさんあります。その

中で、主なもの3つを書きたいと思います。

1つ目は、勉強に対しての考え方です。僕は中学2年生になってから尚朋スクールに通い始めました。通い始める前は、テストで良い点や良い順位を取れればそれでいいと考えていました。しかし、塾長の話を聞くことで、テストで良い点や良い順位を取ることだけが大切なのではなく、身につけたことを自分の人生でどのように生かすかが大切なのだと考えるようになりました。

2つ目は、「今の自分と未来の自分」についての考え方です。それまで、僕はあまりニュースを見ることがなく、日本の政治や世界情勢などはほとんど知りませんでした。しかし、塾長が授業でこれらのことについてたくさん話をしてくれたので興味を持つことができました。そして、自分に何ができるのか、自分はこのままでいいのか、自分の未来はどうなるのかなど、いろいろなことを深く考えるようになりました。

3つ目は、「自分のできること、できないこと」に対しての考え方です。僕は尚朋スクールに入るまでは、「だいたい分かっていれば復習なんて必要ない」「できないことは少しやればできるようになるだろうし、そのうち何とかなるだろう」などと考えていました。考えが甘かったと思います。尚朋スクール入塾後は、復習テストや下野模試を受けることで自分の実力を知る機会が増えました。先生から「今度、テストをやるからちゃんと勉強しておきなよ」と言われたのに、「やならくて大丈夫です」と笑って答えたことをよく覚えています。しかし、何度も行われたテストの結果を見て、「このままで本当に大丈夫なのか、もっといろいろなことを改善した方が良い」と考えるようになりました。

僕は尚朋スクールに通うことで、自分が大きく変わることができました。変われたのは自分自身の努力もありますが、先生方や一緒にがんばってきた仲間のおかげだと思っています。この塾で過ごした時間は、とても楽しく充実したものでした。4月から高校生になります。高校では、尚朋スクールで学んだことを生かして、すばらしい高校生活を送りたいと思います。 

合格体験記

茂木高  Eさん

私は、尚朋スクールで知ったことや学んだことがたくさんあります。

1つは、一緒に勉強する仲間の大切さです。一緒に勉強する仲間がいるだけで、やる気が出ました。私は中学2年生の4月に尚朋スクールに入塾したのですが、入塾前に一人で勉強していた頃と比べて、やる気や刺激の違いに驚きました。仲間と一緒に勉強し、時にはお互いに教え合ったりすることで理解が深まると感じました。仲間との交流のありがたさも感じました。仲が深まることで、塾に来ることが楽しくなり、やる気も出ました。一緒にがんばってきた尚朋スクールの仲間には、とても感謝しています。

中学3年生は、夏期講習会と冬期講習会がありました。塾に来る日も多くなり、先生方にはたくさんの授業をしていただきました。それだけでもありがたかったのに、おやつもいただけて、すごくうれしかったです。

尚朋スクールの第一印象は、「仲間が良い」でした。これは塾生同士だけでなく、先生と塾生との関係もです。先生とは、その日あった出来事、音楽やテレビドラマ、趣味などの話を気楽な感じで話しました。入塾したばかりの頃、先生方は漫画や推しの話を聞いて下さって、塾に馴染むことができました。とてもうれしかったです。

中学3年生になり、受験生となったとき、これまで以上にしっかりと勉強するようにな

りました。しかし、今までさぼってしまった単元が思った以上にあり、すごく驚くと同時に焦りました。そこで自分なりに工夫して努力しましたが、せっかく覚えても何日かすると忘れてしまうことがほとんどでした。そんなとき、夏期講習会がありました。夏期講習会では、1年生からの総復習ができたので、できたような気がするというのではなく、正しい知識や問題の解き方を確実に身につけることができました。

尚朋スクールの英語の授業では、中学2年生から毎回英単語テストがありました。1850単語が収録されていた単語集から範囲を指定されてそこから出題されました。最初はちゃんとやらなかったのですが、私立高入試前には真面目にやるようになり、良い点を取れるようになりました。それがうれしくて、それ以降は毎回がんばるようになりました。そして、いつの間にか英単語集を開く習慣が身につきました。その頃から、英単語力がアップしたと実感することが多くなりました。文法に関してはまだ不安な部分もあるので、高校ではしっかりと理解できるように頑張ります。

県立高校の入試当日は、受験校へ向かう途中がすごく緊張しました。私が受けた教室は、同じ中学校の友達がたくさんいました。友達の顔を見て安心できました。また、茂木高校独特のチャイムを聞くことで気が楽になりました。おかげでしっかりと受けることができました。自分の力を出せたと思います。 尚朋スクールに通うようになって、それまで嫌いだった勉強も、毎日少しでもやろうという気持ちになりました。高校の勉強は難しくなるようですが、勉強と部活を両立したいと思います。約2年間、ありがとうございました。

第174回 川口則弘著『文芸記者がいた!』

川口則弘著『文芸記者がいた!』(本の雑誌社)を読む。

この本は、普段は注目されない「文芸記者」について書かれている。
この点がとてもユニークだ。

明治から平成までの文芸記者が23人、それに加えて現代の文芸記者たちも紹介されている。

紙の新聞や雑誌は厳しい状況だが、ぜひ、各紙・各誌の文芸欄、文芸記者にはがんばってほしいと思う。

巻末の「文芸記者年表」は貴重な資料だ。

七井中生・真岡東中生のテスト対策学習会

七井中生と真岡東中生は、6月1日(日)に「テスト対策学習会」を行います。
また、5月26日からテスト前日まで自習室を開放します。
詳しくは、5月23日と26日に配付するプリントをご覧下さい。
塾生のみなさん、がんばりましょう!

※益子中生・田野中生の「テスト対策学習会」は、6月15日(日)に行う予定です。
詳しくは、後日お知らせ致します。

第173回 河野啓著『ヤンキー母校に恥じる』

河野啓著『ヤンキー母校に恥じる』(三五館シンシャ)を読む。

この本は、義家弘介氏をめぐるドキュメンタリー作品だ。

著者は、北海道放送で「ヤンキー母校に帰る」などのドキュメンタリー番組を作り、義家弘介氏をスターにした。

義家氏は、母校の教師を辞め、国会議員になる(2024年、衆院選で落選し、政界引退)。

著者は、自分が義家氏をスターにしてしまったことを後悔し、この本を書き上げたそうだ。

本書では、国会議員になる前を「ヨシイエ」、国会議員になってからを「義家氏」と区別する。

数多くの取材対象から分かるのは、義家氏は、すぐにキレ、嘘つきで、平気で他人を傷つけ、裏切る人物だ。
関わる人たちを悲しくさせる。
当然、関係は長くは続かず、彼の周りから人は遠ざかってゆく。

それでも、教員時代のヨシイエ氏には、まだ魅力があったかもしれない。
しかし、国会議員になって、変節し、どんどんと人相が悪くなっていった。

元タレントや元スポーツ選手が、知名度を利用され、政治家になり、顔つきがどんどん悪くなる有名人が多い。
義家氏はその典型だと思う。

とてもおもしろかったが、もやもやするものが残る本だった。

第172回 『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』

『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』(白水社)を読む。

俳人の金子兜太(1919~2018)は、俳壇の枠をこえて活躍した人。
豪快で、愛嬌があって、見ていておもしろい俳人だった。

戦争中は戦地(トラック島)に送られ、地獄を経験したという。
その経験から、生涯、反戦の思いは強かった。

『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』は、1957年から1976年、兜太37歳から56歳までの日記である。

日記では、兜太が、実はとても繊細な面を持っていたということが分かる。
また、当時の俳壇の人間関係や組織の複雑さが書かれていて興味深かった。

『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』は450ページで9,900円。
かなりの値段だが、それだけの価値はある。

通っている図書館には第2巻もあったが、しばらく間をおいてから借りようと思う。

彎曲し火傷し爆心地のマラソン  金子兜太

第171回 新聞の魅力

以下は下野新聞(2025年4月17日)に掲載された拙文です。

ネット時代の今 新聞の魅力実感

新聞を読む人が減っている。若い世代だけでなく、子育て世代も読んでいない人が増えている。交流サイト(SNS)全盛の現代、「ニュースはネットやSNSで十分」と考える人が増えているのだろう。そんな時代だが、私は新聞が好きで、下野新聞を含めて二つの紙の新聞を購読している。図書館へ行って、購読紙以外の新聞をチェックすることもある。

ネット時代の現在、速報性という点では新聞はネットにかなわない。しかし、新聞には「記事の信頼性」がある。「見出し」を眺めるだけでも勉強になる。同じニュースを新聞各社がどのように扱っているかを見比べるのもおもしろい。文化面や生活面を読めば教養も身に付く。

12日まで「春の新聞週間」だった。多くの人に新聞の魅力を知ってもらい、新聞を手にとってほしい。

第170回 作家の自筆原稿

以下は下野新聞(2025年5月9日)に掲載された拙文です。

作家の自筆原稿自体が芸術作品

4月11日付本紙に、夏目漱石の自筆原稿が発見されたという記事があった。とても興味深い内容だった。私は作家の自筆原稿を見るのが好きで、文学館や作家の企画展に行くことが多い。

文学館や企画展では、ガラス越しとはいえ、明治や大正、昭和の作家の自筆原稿から

執筆に対しての熱い思いを受け取ることができる。一番印象に残っている自筆原稿は、村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』だ。1990年に、東京池袋の東武百貨店で開催された「昭和の文学展」で見た。原稿用紙に万年筆できちょうめんで整った文字で書かれていて、今でも脳裏に焼きついている。

作家の自筆原稿は、それ自体が芸術作品だ。現代の作家さんは「手書き派」は少数だそうだ。自筆原稿を見る楽しみがなくなってしまうのは残念だが、それも時代の流れなのだろう。