第11回 多くの人に「香害」について知ってほしい

6月5日の毎日新聞に、ある意見広告が載った。朝日新聞にも同じものが掲載されたらしい。
私が日頃使用している石鹸の会社「シャボン玉石けん」が打ったものだ。
以下、全文を掲載する。

日本に新しい公害が生まれています。その名は「香害(こうがい)
柔軟剤や、洗剤の人工的で過剰な香りに苦しんでいる人が増えています。
香りに含まれる化学物質が、めまいや吐き気、思考力の低下を引き起こす化学物質過敏症の原因の一つになるのです。
中には、友人や同僚の服についた香りにより、学校や職場にいけなくなるといった、深刻な問題を訴える人もいます。
当社が行ったインターネット調査において、「人工的な香りをかいで、頭痛・めまい・吐き気などの体調不良を起こしたことがある」
と答えた人がなんと5割を超えていました。
もはや、社会問題といってもいい割合ではないでしょうか。
また、人工的な香料をさらに長続きさせることを目的とし、マイクロカプセルが使われていることがあります。
プラスチックのマイクロカプセルは、人だけでなく、環境への影響も疑問視されています。
誰かの健康を奪っているかもしれない、過剰な香料や添加物、不自然に長続きする香りを、生活者は本当にのぞんでいるのでしょうか。
シャボン玉石けんは、世の中に問いたい。


(下線引用者)

2022年6月5日 毎日新聞

私は、2001年の春に化学物質過敏症になった。
化学物質過敏症患者のベテランである。
あれから21年も経つのかと思うと感慨深いものがある。
今ではいろいろと気をつけながら普通に生活できている。けれど、発症してからの5年間は生きた心地がしなかった。毎日が地獄だった。
当時は「化学物質過敏症」という病気もあまり知られていなかったため、不快な思いも数え切れないほどした。
ある医者には「頭がおかしいとしか思えない。違う病気を疑った方がいい」と言われた。
その他、腹の立つこともたくさんあった。それはいちいち書くことはしないけれど。

あれから21年、さすがに今では「化学物質過敏症」という病気も知られるようになった。
しかしテレビをつけると、化学物質過敏症の私にとっては「毒」となる商品のCMが、相変わらず頻繁に流れてくる。
そして、多くの人がそれらを良いものとして購入し、使用している。
普通の人が、これらの商品の問題点を知る機会はほとんどない。「日常的に使っていたら、みんな病気になってしまうよなあ」といつも思う。

この意見広告には、「香害・化学物質過敏症」啓発講演会のお知らせも載っていた。
7月16日(土)に、リアルとオンラインライブ配信のハイブリッド式で実施するそうだ。
第2部の専門家講演の講師は、なんと以前の私の主治医だった坂部貢先生だった!

私は化学物質過敏症を発症して約5年間、北里研究所病院に通い、坂部先生に検査と生活指導をしていただいていたのだ。坂部先生には大変お世話になった。
意見広告によると、坂部先生の現在の所属は「千葉大学予防医学センター特任教授/ 日本臨床環境医学会理事長」だそうである。

「香害」について、是非、多くの人に知ってほしい。
それが自分と家族の健康を守ることになると思うからだ。

塾通信・合格特集号ができました!

塾通信「Step By Step」の合格特集号ができました。

今回の合格特集号は、第25期生の合格体験記、アンケート、合格祝賀会の様子など、全11ページです。見事志望校に合格した先輩方の体験記やアンケートは、現塾生にとってたいへん参考になるはずです。

塾生には今週から来週にかけて配付します。
また、卒業生には、合格祝賀会時の記念写真、色紙のコピーとともにお送りします。

卒業生のみなさん、楽しみに待っていて下さい!

田野中の期末テストの範囲が出ました

1学期の「期末テスト対策学習会」は、中学校別に2回に分けて行います。
田野中・茂木中は6月の前半に期末テストが行われるため、田野中生・茂木中生対象の「期末テスト対策学習会」は6月5日(日)に行います。
※詳しくは5月30日・31日に配付した案内プリントをご覧ください。

ここ数年、各中学校で1学期の中間テストがなくなっています。そのため、1学期期末テストの範囲が広くなり、差がつくことが予想されます。
塾生たちには、課題を半分に、またはそれ以上に小分けにして準備をすすめるように指導しています。

学校のワークの一周目はもう終わりましたか?
ワークは繰り返し行い、テスト前までに2周・3周して、自分の弱点を潰して下さい。
塾生のみなさん、がんばりましょう!

※益子中生・七井中生・市貝中生の「期末テスト対策学習会」は6月19日(日)に行う予定です。詳しくは、後日お知らせ致します。

ノートの記名はお子さん自身に書かせて下さい

 長年、たくさんの子どもたちと接していて思うことがあります。そのうちの一つが、「うまくなくてもいいから、ノートの名前や教科名はお子さん自身に書かせてほしい」ということです。
 小学3年生くらいからは自分で書かせたほうがいいです。

 もちろん、上手に書けなかったり、失敗したりもします。中学1年生になって、「数学」と書くべきところを「算数」と書いてしまい、修正テープを貼り、その上に「数学」と書き直している、そんな子がいます。真新しいノートにマジックで格好良く書くはずが、失敗してしまい、何とかしようと格闘した姿が目に浮かびます。このようなノートを見ると微笑ましくなります。そして、「この子は大丈夫だ」と思うのです。不思議なことに、このような子のほとんどは、ちゃんと成績が伸びますし、たくましく育つのです。

 詳しい理由はわかりません。ですが、おそらく、「ノートの名前を書く」という小さなことも自分でやる習慣がついている子は、成長とともに、何事も「自分ごと」と捉えるようになるからなのではないかと思っています。
「名前を書くのを失敗した→自分で工夫して書き直した」、このようなことが大切なのです。

 子育てにおいて重要なことは、小さいうちから「子どもに小さな失敗をたくさんさせること」です。「失敗させたくないから」と思って、何でも親が先回りしてやってしまうと、かえって本人のためになりません。子どもの成長を止めたり、遅くさせたりしてしまうのです。

失敗は成長するチャンスです。

 是非、ノートの名前や教科名は、お子さん自身に書かせるようにして下さい。そして、小学校の低学年に弟さんや妹さんがいる方は、いまのうちから本人に書かせるようにしてあげてほしいなと思います。

第10回 井頭公園のローズフェスタ

園芸好きな妻と二人で井頭公園のローズフェスタに行ってきた。
今年初めての猛暑日だったが、バラ園はたくさんの人で賑わっていた。
ネットで調べたところ、ここのバラ園には、約290種、2100本の薔薇があるそうだ。

一口に薔薇といっても非常にたくさんの種類がある。
「ベルサイユのばら」とか「ジョンFケネディ」、「イングリッドバーグマン」などという品種もあって興味深かった。

約1時間半、ゆっくりと薔薇を見て回った。
とてもよい時間を過ごせたと思う。薔薇に詳しくない私も楽しめた。

「薔薇」や「噴水」で句を作ろうと思ったが良いものができなかったので、歳時記から薔薇の俳句を二句。

薔薇(そうび)園一夫多妻の場をおもふ 飯田蛇笏

匂いなくケネディという白き薔薇 広瀬敦子

車を運転して自宅へ帰る途中、FMラジオ(NACK5)を聞いていた。日曜日のこの時間はNACK5の「サンデーライオンズ」と決まっている(もちろん、授業や面談がある日は別)。

今日のライオンズの対戦相手はセ・リーグのベイスターズ(セ・パ交流戦)。
2対2で迎えた9回裏、西武の攻撃は代打の栗山巧選手から。
今年21年目のベテラン栗山選手は、0-2と追い込まれてから平田真吾投手の投げた3球目をライトスタンドへ放り込む。
なんと、サヨナラホームランだった。
球場の歓声、興奮がラジオを通しても伝わってきた。

今日はいい一日になった。
家に帰ったら、一休みして、はりきって仕事をしようと思った。

第9回 信長は本当に「であるか」と言っていたのか? (その2)

前回のブログで、私は次のように書いた。

ところで、信長は本当に「であるか」と言っていたのだろうか?
ドラマの中の信長は「であるか」を連発しているのだが。
非常に気になるところである。

気になったので、学生時代からの親友Oにメールで質問してみた。
Oは織田信長が大好きで、信長については非常に深い知識を持っているのだ。
質問してから数日後に回答があった。それを簡単に紹介したい。

信長の家臣である太田牛一の著書「信長公記」の中に以下のようなことが書かれているそうである。

信長が、義父である斎藤道三と会見したときのこと。
遅れてきた道三を道三の家臣が、信長に次のように紹介した。
「この方が斎藤山城守である」と。そのとき信長は「であるか」と言った。

Oの記憶では、信長が「であるか」と言ったのはこのときだけだそうだ。

ということは、信長は「であるか」と言ったことがあり、まったくの作り事ではないということになる。
そして、小説家や脚本家の誰かが「信長公記」でこのエピソードを見つけて、それを作品に取り上げ、信長に「であるか」と言わせた。そして、それが普及し、「信長といえば『であるか』」ということになったのかもしれない。
「であるか」と言う信長は、エラそうで、私たちがイメージする信長にぴったりだ。

信長の「であるか」について何かご存じの方は、是非ご連絡下さい。

第8回  信長は本当に「であるか」と言っていたのか?

暑い日が続いている。
こうなってくると、仕事に行く前にシャワーを浴びることが多くなる。
シャワーを浴びながら、ふと、ある一句を思い出した。

全身にシャワー信長忌であるか

何方の句かは忘れしまった。俳壇の芥川賞と言われている「角川俳句賞」受賞作50句の中の一句だということは記憶している。
そして、私にとっては忘れられない一句となった。

もちろん、信長とは織田信長のこと。そして「信長忌」は6月2日で夏の季語である。
多くの人にとって、「信長忌」だけではいつの季節なのか分からないと思う。しかし、「全身にシャワー」とあるので夏の季語であろうということは想像できるのではないか。

ところで、信長は本当に「であるか」と言っていたのだろうか?
ドラマの中の信長は「であるか」を連発しているのだが。
非常に気になるところである。

第7回 『歴史・時代小説教室』を読む

安部龍太郎・門井慶喜・畠中恵著『歴史・時代小説教室』(文春新書)を読んだ。
これは歴史・時代小説を書きたい人向けに行ったオンライン講座を本にしたものらしい。
歴史・時代小説の分野で活躍されているお三方が各1回、司会者の質問、受講者の質問に答えるという対談形式で進んでいく。

お三方のお名前は書店でよく見かけるが、私が実際に読んだことがあるのは門井慶喜さんのみ。ちなみに門井さんは宇都宮東高出身で、栃木県と縁のある方だ。

私は歴史小説や時代小説を好んで読む。だから、プロの作家がどのような準備(取材や史料収集など)をして、どのような心構えで書いているのかということについて非常に興味があった。

この本でお三方は、史実とフィクションとの兼ね合い、史料を読む時間と執筆に当てる時間の配分、どんな史料を利用しているのか、史料の整理方法、登場人物の会話の文体はどうしているのかなど、その裏側を惜しげもなく開陳してくれている。最初から最後まで「目から鱗」といった内容であった。
歴史小説や時代小説を書こうという気持ちのない人(もちろん、私もないが)にも読んでほしい一冊である。

この本をきっかけに、これまで読んだことのなかった安部龍太郎さんと畠中恵さんの小説を買ってきて読み始めた。そして、安部龍太郎さんの『家康①』(幻冬舎時代小説文庫)は私の心にヒットした。現在、文庫本で6巻まで出ているようなので、しばらくの間は楽しめそうである。

第6回 「二松学舎大附属―山梨学院」観戦記

今日は中学3年生の国語の授業がある日。
基本的に、授業がある日は朝早くから活動しないようにしている。しかし、今日は例外だ。なぜなら、春季関東地区高等学校野球大会で、二松学舎大附属高(東京2位)と山梨学院高(山梨1位)の試合があるからだ。
この日のために授業の準備は昨日までに済ませておいたので、曇天の中、車で宇都宮清原球場へ向かうことにした。

関東大会というだけあって観客は多かった。グリーンベルトには車がびっしりとあった。そして、今日も臨時駐車場(キャノン)が設けられていた。
臨時駐車場から球場へ歩いて行く途中、第一試合の観戦を終えて、駐車場に向かう人たちとすれ違った。監督の采配などに文句を言っていたグループが数組あった。その中には、「推し」のチームのキャップを被っている人も。監督の采配に文句を言うのもチーム愛あってのことである。

入場時に、ちょっと驚いた。
次男(大学1年生)の高3時の担任で野球部監督のK先生が、スタッフとしてお仕事をされていたのだ。K先生にはたいへんお世話になった。まさかK先生にまたお会いして、お話しすることができるとは思っていなかったので、とてもうれしかった。

今日の私の「推し」のチームは二松学舎大附属高である。
二松学舎大附属高は先攻なので三塁側ベンチを使用。ファンは、普通であれば応援するチーム側の席に座るものだが、あえて一塁側に座ることにした。二松学舎大附属高のベンチの中の様子を観察したかったからだ。
私は、二松学舎大附属高の市原勝人監督のファンなのだ。
市原監督はかつて二松学舎附属高3年の春に、センバツで準優勝投手となった人である。それほど大きくない体で、表情を変えず、時には笑顔を見せ、一人で淡々と投げ続けていたその姿に、中学生だった私はすっかり魅せられてしまった。1982年のことだ。
市原監督自身が左投げだったためか、二松学舎附属高野球部は左投げの投手が大好きだ。今年のチームのエースナンバーの布施東海投手も左投げ。そして、今日先発した背番号10の辻大雅投手も左投げだ。

二松学舎大附属高のユニホームは、アイボリーの前開きシャツ。首と袖、パンツに大学のスクールカラーのグリーン(松葉緑)のラインが入っている。そして、左胸には縦に「二松学舎」という文字。文字が縦書きというところ、前身が漢学塾だけのことはある。
文豪の夏目漱石や柔道家・教育者の嘉納治五郎は二松学舎で学び、実業家の渋沢栄一は3代目舎長(今の学長といったところか)を務めたというのは有名な話。

市原監督は、ベンチ奥の右端(一塁側スタンドから見ると左端)の壁に背中をつけて座っていた。試合中はあまり動かない。その姿は、故野村克也監督のようだった。

試合は終始、1回裏に2点をとった山梨学院有利の展開で進んだ。曇天から小雨になり、傘をさしながらの観戦となった。私は上着を忘れてしまったので、寒さに震えての観戦になってしまった。
6回裏が終わったところで「二松学舎大附1―6山梨学院」。雨脚も強くなり試合は一時中断となった。私はこれを機に帰ることにした。

球場を出る際も、出入り口付近でK先生が誘導の仕事をされていた。
お邪魔かと思ったが、次男の近況や野球部についてお話しさせていただいた。
この場にK先生がいらっしゃるということは、他のスタッフの方々も高校の先生なのかもしれない。そういえば、グランドやスタンドには宇都宮北高のユニホームを着た球児たちがいて、裏方の仕事をしていたっけ。
多くの人たちの支えがあって、高校野球ファンが試合を楽しむことができている。
感謝をしなければと思いつつ、激しい雨の中、帰路についた。

※試合の結果は「二松学舎大附4―8山梨学院」であった。

第5回 啄木の歌

今朝、妻が、鉢植えで育てている薔薇の花を切って食卓に飾った。
庭にある鉢の薔薇もきれいだけれど、食卓に飾った薔薇もまた美しい。鼻を近づけると桃のような良い香りがする。
部屋に花や植物があると、生活の質がぐっと上がる気がする。
そして思い出すのが石川啄木の次の歌だ。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

歌人・石川啄木の魅力は、その精神の振れ幅の大きさだ。
「俺は天才だ!」と思ったら、次の日には「俺はもうダメだ」と絶望したりする。この振れ幅が面白い。
人間だれしも気持ちの浮き沈みはある。それでも何とか折り合いをつけて生活しているのが大人というものだ。しかし、歌人・啄木は常人ではない。精神の浮き沈みが激しいし、その浮き沈みに命を懸けているといった印象がある。そこが啄木の最大の魅力である。
歌人としてはすごく魅力的な啄木だが、その生活は破綻していた。友人、知人、会社に借金をしまくり、平気で踏み倒す。「借金を返さなきゃ、でも返せない」と窮地に陥った時、たった一晩で、壁に物を投げつけるように何十首も歌を作ってしまう。
その歌は、今でも我々の心を大きく揺さぶるのだ。
啄木、本当は小説家になりたかったのだけれど。

ときどき妄想する。
自分が啄木と同時代に生きていて、啄木の友人・知人だったとしたらと。
きっと私は「嫌な奴」とか「迷惑な奴」と思ったはず。喧嘩別れしたかもしれない。
今、純粋に作品のみで啄木と対話できるというのは、後世に生きる者の幸せというべきか。

中学生の頃に買い、黄ばみ、ボロボロになった啄木の歌集、久保田正文編『石川啄木歌集』(旺文社文庫、280円)は私の宝物である。