考えて努力をしているか

 先日、以前に録画しておいたテレビ番組「アスリートの魂」を見ました。
 昨年の6月10日に、NHK・BS1で放送されたものです。
 この回でとり上げられたのは、19歳のルーキー、阪神タイガースの藤浪晋太郎投手です。
 みなさんも知っている通り、彼は、大阪桐蔭高校時代に、甲子園で春夏連覇を達成したすごい投手です。2012年のドラフト会議では4球団から1位指名され、抽選の結果、阪神タイガースに入団しました。昨年は、プロ入団一年目ながら10勝を挙げ、大活躍しました。セ・リーグで、高卒新人で10勝を挙げたのは、46年ぶり5人目の快挙だそうです。
 番組中の彼の表情や受け答え、発言の内容は、非常に成熟していて、とても19歳の若者とは思えませんでした。二十歳前後で世間に注目されると、自分を見失い、それまで持っていた良さを失ってしまうことも少なくないのですが、彼にはそのような様子はまったくありませんでした。
 藤浪投手は自分の置かれている状況を冷静に見極めることができているのです。試合後は、投げた試合の映像を見て、自分のピッチングをチェックし、分析して、自分の理想に向かって日々努力しているのです。その姿勢は、とても立派です。私は、なんて賢い若者なのだろうと感心しました。
 彼は、常に考えた上で努力しているのです。
 プロ野球という厳しい世界で、高卒1年目から結果を出している藤浪投手から、大いに学ぶことがあると感じました。

  小学1年生から野球を始めた藤浪投手は、仲間たちとともにたくさん練習に励んできました。しかし、彼には他の子たちと大きく違った点がありました。それは、ただ単に練習量が多いだけでなく、自分の頭で考えて練習していたという点です。
 小学生ながら野球の専門書を読むなどして、常に自分の頭で考えて練習していたのです。高い目標を持ち、冷静に自己分析し、課題を見つけ、課題克服のために今何をすべきかを常に考えてきました。自分のどこが弱点で、どこを鍛えれば改善されるのか、自分なりのチェックポイントをいつも確認してきました。
 そして、こうした努力は、プロ野球選手になった現在も続けています。
 藤浪投手の野球に対する真摯な姿勢は、勉強や部活動に励む小中学生のみなさんにとっても大いに参考になるはずです。

  勉強もスポーツも、時間をかけて、ただやるだけではダメなのです。(以下、勉強に限ってお話しします。)
 いくら長時間学習していても、いくらたくさんノートを使っても、中身のない学習をしていては、成績は絶対に伸びません。意味のある学習、結果に結びつく学習をしましょう。
 改めて、現在の自分の課題や弱点を考えてみて下さい。
 「自分は○○はできるけれど、△△はできない」「自分はここまではできるけれど、ここから先はちょっと自信がない」などと、自分を冷静に見つめてみましょう。すると、これからどのような努力をすれば良いかが、自ずと見えてくるものです。
 さまざまなテストについても同様です。
 テストを受けて、その結果に一喜一憂しているだけではダメです。テストを受けた後で、自己分析し、自分の弱点を見つけ、それを克服する努力を実践することが大切なのです。
 みなさん、テストの復習はこのようなことを考えて行っていますか? なぜできなかったのか、どうすればできるようになるのかを考えていますか?
 模試や実力テストはいわば練習試合のようなものです。そして、テストの復習は、試合後の練習と同じなのです。スポーツの世界でも、試合後に課題克服のため、さらに努力するはずです。
 実際、成績の良い人、成績が伸びている人は、主体的な姿勢で、頭を使い、工夫して、正しい努力を続けています。

 「勉強なんて面倒くさい。そこまでしてやる意味があるのか」と思った人もいるかもしれませんね。
 たかが勉強、されど勉強です。
 大人になったとき、今学んでいる内容を忘れてしまったとしても、勉強することで身につけた正しい努力の方法は、体と頭が覚えているものです。
 今の自分の実力を冷静に判断する自己分析力、何から取りかかったらよいかを考える段取り力、どうしたら目的を達成できるかを考える問題解決力など、生きてゆく上でとても大切で、役に立つことばかりです。
 みなさん、賢い努力をして下さい。

『Step By Step 2月号 第195号』(2014年2月3日発行)より

古典の楽しみ

 “古典とは、名前はみんな知っているが、だれも読んでいない”
 上記の言葉は、学生時代に、英文学者の奥井潔先生(1924~2000)から教えていただいた言葉です。
 そういわれてみると、確かにそうかもしれません。
 例えば、日本の古典文学を考えてみても、国語や歴史の教科書に必ず出てくる、紫式部の『源氏物語』の名前は、大人であれば誰でも知っています。けれど、実際にすべてを読んだ人は、かなり少ないと思います。恥ずかしながら、私もその一人です。大和和紀のマンガ、『あさきゆめみし』は読みましたが。
 「古典とは、名前はみんな知っているが、だれも読んでいない」のあとに、奥井先生は、「古典を理解することは偉大さを理解することである。そのためには、人格的成熟が必要であり、若者が古典から入るのは無理である。であるから、読書は乱読が王道である。青春時代は、まず、万巻の書を読むことだ」と続けられました。
 つまり、できるだけたくさんの本を読め、ということです。
 そう言われても、若者は生意気なものです。背伸びをしたくなります。大学生なのに古典文学を読んでいないなんて格好悪い。そう思って、学生時代の私は、西洋の古典文学に挑戦しました。
 案の定、途中で投げ出してしまったものがたくさんありました。また、最後まで読み通してはみたものの、「ただ読んだ」というものもたくさんありました。
 まあ、青春時代の背伸びも、決して無駄ではありませんが。

 あの頃から、二倍以上生きてきた今、思います。
 二十歳前後の若造が、古典を理解できないのも無理はないのだと。
 奥井先生がおっしゃったように、私のような凡人が、古典を理解できるようになるためには、それなりの人生経験が必要なのですね。

 さて、私の最近の楽しみは、寝る前に、蒲団の中で日本の古典文学を読むことです。
 昨年のNHKの大河ドラマは、おもしろくなくて、途中で見るのをやめてしまいました。自分としては、かなり珍しいことです。見るのをやめたかわりに、『平家物語』を読むことにしました。
 これが、最高におもしろかったのです。
 歴史的背景も、人間関係も、けっこう複雑なのですが、その複雑なところが魅力なのです。
 付録の桓武平氏や清和源氏、天皇家・藤原氏の系図や、合戦略図や略年表を見て、ふむふむと納得しながらページを繰る。至福の時でした。
 これに味をしめて、現在、『太平記』を読んでいます。これも、またおもしろいです。
 『平家物語』や『太平記』といった手ごわい古典文学を、心底楽しいと思えるのは、やはり、それなりに年を重ねてきたからなのでしょうね。いや~、歳をとるのも悪くないものです。
 若いみなさんも、いつかはオジヤン、オバヤンになります。嫌だといっても、必ずその日がやって来ます。覚悟しておいて下さい。
 そのとき、この駄文を思い出してくれたらうれしいです。
 とりあえず、若い今は、手当たり次第に、たくさんの本を読んでみるといいです。
 今年、みなさんがすばらしい本に出合えることを願っています。

『Step By Step 1月号 第183号』 (2013年1月8日発行)より

宝の言葉がいっぱいの本

 2012年になって最初の塾通信です。第170号という切りのいい番号で、ちょっと気分がいいです。
 さて、私が今年最初に読んだ本をみなさんに紹介します。
 王貞治さんと岡田武史さんの対談集、『人生で本当に大切なこと』(幻冬舎新書)です。
 王さんは、世界最高本塁打数記録保持者(通算868本)で、現在、福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長です。「世界の王」として、多くのメジャーリーガーからも尊敬されている王さん。野球の実力だけでなく、その誠実な人柄は球界を問わず有名です。私は、今から20年以上前に、当時、巨人の監督だった王さんに握手していただき、サインをいただいたことがありました。その色紙と、一緒に撮っていただいた写真は私の宝物です。
 一方の岡田武史さんは、サッカー日本代表を2回務められた人。2回目の日本代表のときは、ベスト16進出を果たしました。その他、コンサドーレ札幌、横浜F・マリノスの監督も歴任されました。
 この対談集、すごくいいのです。宝の言葉がいっぱい詰まっています。
 スポーツや芸能の世界に限らず、どの世界でも、持って生まれた才能と運の良さで、若くして頂点に立つ人はいます。しかし、自分に厳しくして、精進し続けていかないと、輝きは失われてしまうものです。若くして成功をおさめてしまったがために、周りにチヤホヤされ、自分を見失い、結果、逆に転落してしまう人が少なくないのです。
 この二人は違います。
 選手時代から人一倍精進し、現役引退後も指導者として活躍し、それぞれの世界で重要な地位にあります。
 王さんも岡田さんも、経歴だけを見ると生まれながらのエリートで、一般人とは違うと思ってしまいがちです。でも、この本を読めば、そうでないことがよくわかります。二人とも、たくさんの壁にぶつかり、悩み、挫折し、それを乗り越えてきたのです。そうすることで、人間的に深みが増し、魅力ある人物になったということが、二人の言葉から伝わってきます。
 帯にかかれた言葉をいくつか紹介します。

◆右肩上がりの人生なんてない。常にジグザグに進んでいく
◆壁が大きいほどチャンスになる
◆迷う暇があったら、とにかく一歩踏み出す
◆目標は高ければ高いほどいい
◆人生は「出会い」で好転する
◆「運」は誰にでも平等に訪れる
◆分かれ道では直感に従う
◆すぐに結果を求めない

 この本の副題は、「壁にぶつかっている君たちへ」です。つまり、この対談集は、若い人たちへのメッセージになっているのです。
 尚朋スクールの塾生のみなさんには、是非、この本を読んでほしいと思います。できれば、自分のおこづかいで買ってもらいたいです。買うつもりだった何かを我慢してでも、この本を買って下さい。お年玉で買ってはいかがですか。
 たくさんの宝の言葉が詰まった本が、たった800円弱で自分のものになり、自分がレベルアップできるのです。安いものですよ。
 この本を読めば、みなさんの何かが変わる、と思います。

『Step By Step 1月号 第170号』 (2012年1月10日発行)より

雑念を捨てる!

 勉強に対して、前向きに頑張れている人がいます。その一方で、集中できず、いまひとつ頑張れていない人がいます。
 前向きに勉強ができない原因は、いくつかあります。
 体調が悪かったり、悩み事を抱えていたりしていては、勉強に集中できません。また、体力面で今の生活がギリギリという人も、勉強する意欲がわかないでしょう。
 そしてもう一つ、意外な原因があります。それは、雑念が多い場合です。

 友達のことが気になって仕方がないという人がいます。
友達の成績のこと、友達の使っている問題集や参考書、友達がどんな勉強をしているのか、友達が昨日何時まで勉強したのかなど、他人のことが気になって仕方がないのです。そのせいで、自分のことが疎かになっているのです。このような人は、友達やさまざまな情報に振り回されているといえましょう。しかし、本人はそのことに気づいていません。
 そして、このような人の特徴として、噂話が大好きです。また、同類の友人と弱音を吐き合い、お互いの傷を舐めて、不安から逃れようとする傾向があります。勉強に集中できない自分を直視しないようにしているのです。
 人のことが気になる→友達と噂話ばかりする→無駄な時間を過ごす→勉強に集中できない、勉強しない→結果が出ない→焦る→人のことが気になる→ ……。
 この繰り返しです。
 雑念が多い人は、このような悪い循環に陥って抜け出せないのです。当然、いいことなんて、ちっともありません。

 一方、友達のことなど気にせず、目の前の自分の課題に黙々と取り組んでいる人がいます。
雑念のない人は、すぐに結果が出なくても一喜一憂せずに、地道に努力を続けています。その結果、次第に成績が伸びていくのです。

 さて、みなさんはどちらのタイプでしょうか?
 もし、前者のタイプだとしたら、雑念を捨てるように心がけましょう。
 友達のことや、つまらない情報などは気にしないようにして、自分のすべきことに集中して下さい。
 そうすれば、いい回転が始まりますよ。
 キーワードは、「雑念を捨てる!」です。

『Step By Step 12月号 第156号』 (2010年12月10日発行)より

J・D・サリンジャーが亡くなって

 1月30日の朝刊に、J・D・サリンジャーの訃報記事がありました。享年91歳。自然死だったそうです。この記事を目にしたとき、「ついにその日が来たか」と思いました。
 サリンジャーは20世紀のアメリカ文学を代表する作家です。以下、新聞記事で彼の略歴を紹介しましょう。

 サリンジャーさんはポーランド系ユダヤ人とアイルランド系の両親のもと、1919年、ニューヨーク・マンハッタンに生まれた。10代で執筆をはじめ、40年、ストーリー誌に掲載された「若者たち」でデビュー。戦後、ニューヨーカー誌に発表した短編が評判になり、51年の「ライ麦畑でつかまえて」は大ベストセラーになった。成績が悪く高校を追い出された主人公の屈折した感情を、攻撃的な言葉で表現し話題になった。
 しかし身辺が騒がしくなったことを嫌った同氏は53年、突然、ニューハンプシャー州の田舎町で隠とん生活に入った。(後略)   「毎日新聞」(2010年1月30日)

 「隠遁」とは、俗世間を逃れてひっそりと隠れ暮らすことです。日本でいえば、『徒然草』の吉田兼好、『方丈記』の鴨長明などが隠遁生活を送っていました。
 サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳、1984年、白水社)は、私の愛読書です。初めて読んだのは大学1年生のときでした。その後、数え切れないほど読み返しました。
 大学3年生の夏休みに、約1ヶ月間、アメリカのモンタナ州立大学での語学研修に参加しました。これに参加したのも、『ライ麦畑』を読み、アメリカを肌で感じてみたいと思ったからです。もちろん、当時からいろいろと問題を抱えていた国でしたが、この頃までのアメリカは、元気があり、魅力的な国でした。今のアメリカからは、ちょっと想像がつかないかもしれませんが。
 この語学研修中に、地元のショッピングモールの中にあった書店で、『ライ麦畑』のペーパーバックス『THE CATCHER IN THE RYE』を、3ドル95セントで買ったのも懐かしい思い出です。 2003年には、村上春樹さんによる新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)が出版され話題になりました。私個人としては、野崎孝さんの訳の方が好きです。
 この小説、発表されてから60年ほど経つのに、いまだに世界中で読まれているのです。永遠の青春小説なのですね。みなさんも、高校生になったら、是非読んでみて下さい。
 なお、野球を通して、古き良きアメリカを描いたファンタジー映画「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)に出てくるテレンス・マン(映画の中では黒人)のモデルはサリンジャーです。
 この映画も、そして、この映画の原作『シューレス・ジョー』(W・P・キンセラ著、永井淳訳、文春文庫)もおススメの一冊です。是非、いつか読んでみて下さい。

『Step By Step 2月号  第145号』(2010年2月4日発行)より

弱気は最大の敵

 津田恒美という、すごい投手がいました。1980年代に広島東洋カープで、リリーフピッチャーとして活躍した選手です。
 山口県立南陽工業高校のエースとして、1978年に春夏連続で甲子園に出場した津田投手は、1981年にドラフト1位で広島に入団。プロ1年目の1982年には先発投手として11勝を挙げ、新人王を獲得しました。2年目以降は、中指の血行障害に悩まされたものの、大手術の後、1986年にリリーフに転向し、22セーブを挙げ、見事復活しました。その年のカムバック賞も獲得しました。
 そんな津田投手に、悲劇が襲いかかります。
 1991年4月に、悪性の脳腫瘍が見つかったのです。2年3ヵ月の闘病生活ののち、1993年7月20日に、32歳という若さで亡くなってしまいました。
 津田投手の投球スタイルは、打者に対して「剛速球で真っ向勝負」というものでした。
 全盛期の津田投手は、本当にすごく、打者はストレートが来ると分かっていても打てませんでした。
 当時、読売ジャイアンツの4番打者であった原辰徳選手(現監督)は、1986年9月24日に、津田投手と対戦しました。このとき、津田投手の剛速球をかろうじてファール・チップにした原選手の手首は砕かれてしまいました。それほど、力のあるボールだったのです。
 リリーフとして津田投手がマウンドに上がると、「もう勝負は決まった」と思ったものです。たとえ広島ファンでなくても、津田投手のピッチングは、見ていて、とても気持のいいものでした。
 この津田投手、実は元来気が弱く、高校時代には、監督から「精神安定剤だ」と嘘を言われ、メリケン粉を渡されたこともあったそうです。
プロに入ってからも、自分の精神的弱さを克服すべく、“弱気は最大の敵”と書いたボールを肌身離さず持ち歩き、登板する前には、そのボールに向かって気合を入れていたそうです。
「剛速球の津田投手が」と思うと、びっくりします。

 さて、高校受験が刻々と迫っています。今の時期の中学3年生は、焦り、不安になり、つい弱気になってしまいがちです。しかし、弱気になってはいけません。弱気になっても良いことは一つもありません。では、不安を拭い去るためには、どうしたらよいのでしょうか。
答えは、志望校合格を信じて努力することです。一生懸命に勉強することです。
そして、もう一つ。“弱気は最大の敵” という言葉を思い出し、自分に気合を入れて下さい。
 学力は、入試直前まで伸びるのです。

『Step By Step 11月号  第130号』(2008年10月30日発行)より

友達の悪口を言うのをやめてみよう

 部活、クラス、仲良しグループ、みなさんはそういった集団に属していますね。その仲間たちといるとき、なんとなく、その場にいない友達のAさんの悪口が始まってしまうことはありませんか? あなたは、Aさんのことをさほど嫌いでもないのですが、他の何人かがAさんの悪口を言っています。さて、あなたはどうしますか? 仲間の話を聞いているうちに、自分もAさんのことを悪く思ってしまったりして、他の仲間と一緒になってAさんの悪口を言ってしまうという人、少なくないのではないでしょうか。

 また、こんなことはありませんか? ある集団で、やはり、友達のB君の悪口を言い合っていました。C君は、B君のことをずいぶん悪く言っていました。そのC君が、用事があって家に帰る時間になりました。「じゃ、オレ帰るから。またね」と言ってC君はその場を去りました。すると今度はD君が、「Cってさー」と言ってC君の悪口を始めました。そして、いつの間にか、そこはC君の悪口を言い合う場となってしまいました。
  C君の悪口を言い始めたD君も、「塾があるから、オレ帰る」と言ってその場を去りました。しばらくすると、残った者たちは、D君の悪口を始めました。E君は、本当は自分も家に帰らなければならない時間なのですが、この場を離れると、今度は自分の悪口が始まるのではないかと心配で帰ることができません。

 このようなこと、経験したことはありませんか?
  「その場にいない誰かの悪口で盛り上がる」というのは、仲間の結束を強めるという側面があります。不安定な人間関係の中で、誰か一人の悪口を言い合うことで仲間になった気がするのです。しかし、そのようなマイナスの要因で結びついている仲間は、良い友達といえるでしょうか? そのような集団に属していれば、あなた自身もダメになってしまうと思います。人相が悪くなる、性格が悪くなる、行動が悪くなる、考え方が暗く陰険になる、などなど。そして、ダメな者同士が集まり、さらに悪い方向へすすんでゆきます。
  口を開けば友達の悪口ばかり言っている人は、信用できないと思ってまず間違いありません。だって、そんな人は、明日にはあなたの悪口を言っているかもしれないのですから。
  ここまで読んで、ドキリとした人へ(いや、ドキリとしない人の方が少ないのではないでしょうか)。
今からでも遅くありません。これから、友達の悪口を言わないようにしてみましょう。それが一日二日と続き、一か月続いたとき、あなたの人生は絶対に変わりますから。嘘じゃありませんよ。私も経験者ですから。

『Step By Step 2月号  第105号』(2007年2月5日発行)より