第179回 新聞をさらに深く味わう

以下は東京新聞(2025年5月24日)に掲載された拙文です。

新聞をさらに深く味わう

「ずっと電子辞書とともに」(5日発言欄)を読んで、上には上があるものだと思った。

私は新聞や雑誌が好きで、東京新聞と地元紙の2紙を、さらに週刊誌1誌を購読している。また、図書館で購読紙以外の全国紙に、購読誌以外の週刊誌や月刊誌に目を通すようにしている。大きな出来事があった時は、図書館で新聞各紙を読み比べることもある。この時代、自分はそれなりに読んでいる方かと思っていた。

しかし投稿者は、元日と憲法記念日、8月15日には新聞7紙を入手し、吟味しているという。とてもかなわないと脱帽した。年齢も住む場所も違うが「東京新聞の読者」という共通点がある。私も見習って、さらに日々精進していきたいと思う。

第178回 『友ありてこそ、五・七・五』

東京やなぎ句会編『友ありてこそ、五・七・五』(岩波書店)を読む。

東京やなぎ句会は、作家や俳優、落語家たちによる、とても有名な句会である。
入船亭扇橋(俳号・光石)が宗匠、永六輔(俳号・六丁目)、小沢昭一(俳号・変哲)、柳家小三治(俳号・土茶)など、有名な方々の素人句会だ。

この本は、「東京やなぎ句会」として3冊目の本だそうだ。
『友ありてこそ、五・七・五』からは、とても楽しい雰囲気が伝わってくる。

この本が出版されたのは2013年、メンバーのほとんどの方が鬼籍に入られて、現在は「東京やなぎ句会」自体はなくなってしまったそうだ。

句会や歌会は本当に楽しい。
私は、句会と歌会の両方に参加しているが、毎回、仲間から多くの刺激を受けている。

句会(年4回)は約15名、歌会(奇数月)は8名でやっている。
今の句会には、かなり昔の当塾の卒業生のお母様が参加されている。

会場で再会した時は、本当に驚いた。

7月に歌会がある。
今から楽しみにしている。

第177回 佐川恭一著『学歴狂の詩』

佐川恭一著『学歴狂の詩』(集英社)を読む。

私は、佐川恭一という作家は知らなかった。

この本は小説ではない。
ノンフィクションである。

帯の後ろ側には、森見登美彦さんの紹介文がある。

「受験生も、かつて受験生だった人も、みんなが読むべき異形の青春記。」

学歴にとらわれ、不惑になってもその傷が癒えない作者が、自分の思いを、そして、これまで接してきた友人たちへの愛を熱く語っている。

「学歴教」というものにとらわれてしまうと、そこから脱会するのがいかに大変か、いかに人生を狂わせてしまうのかが分かる本。

受験生は、とくに大学を目指す高校生は、学歴にとらわれがちである。
モチベーションを上げるためには大切でもあるのだが、それも行き過ぎると毒になる。
人生が狂ってしまう人もいるのだ。
このことは、大人が子どもたちに教えておくべきである。
これは、作者も本書で強調していた。

『学歴狂の詩』、本当におもしろい「異形の青春記」だった。

第176回 長嶋茂雄さん、逝く

6月3日に、長嶋茂雄さんがお亡くなりになられた。
89歳、日本の戦後を代表するスーパースターだった。

6日の東京新聞は、20ページ中6ページで長嶋さんの訃報や偉業を伝えていた。
1面でも大きく扱い、コラム「洗筆」や社説でも取り上げていた。

長嶋さんは、「記録よりも記憶に残る選手」と言われていたが、残念ながら私は監督としての長嶋さんしか知らない。
それでも、長嶋さん関連の本はたくさん読んだので、そのすごさは感じていた。

写真はその一部。

監督としても華がある方で、選手よりも長嶋さんの方が目立っていた。
長年にわたり日本を明るくされた方である。

「ミスタープロ野球」の長嶋さんのご冥福をお祈りいたします。

第175回 柳広司著『パンとペンの事件簿』

柳広司著『パンとペンの事件簿』(幻冬舎)を読む。

物語の舞台は大正時代、1910の大逆事件後の話だ。

社会主義運動は「冬の時代」を迎え、社会主義者の堺利彦が「売文社」を経営し、厳しい時期をしのいでいた。
この「売文社」が舞台で、青年の「ぼく」の視点で物語は進む。

堺利彦をはじめ、大杉栄や荒畑寒村など、実在の人物も登場する。

本当は暗くて陰鬱な時代であったはずだが、この小説はときにユーモアを交えて、軽快に進んでゆく。
とても読みやすかった。

言論の自由や個人の尊厳などが少しずつ失われてゆきつつある今、この小説を読む価値はある。
ぜひ多くの人に読んで欲しい。

参考文献にあげられていた、黒岩比佐子著『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)は、家のどこかにあったはず。
探して、今度は丁寧に読み直したいと思う。

第174回 川口則弘著『文芸記者がいた!』

川口則弘著『文芸記者がいた!』(本の雑誌社)を読む。

この本は、普段は注目されない「文芸記者」について書かれている。
この点がとてもユニークだ。

明治から平成までの文芸記者が23人、それに加えて現代の文芸記者たちも紹介されている。

紙の新聞や雑誌は厳しい状況だが、ぜひ、各紙・各誌の文芸欄、文芸記者にはがんばってほしいと思う。

巻末の「文芸記者年表」は貴重な資料だ。

第173回 河野啓著『ヤンキー母校に恥じる』

河野啓著『ヤンキー母校に恥じる』(三五館シンシャ)を読む。

この本は、義家弘介氏をめぐるドキュメンタリー作品だ。

著者は、北海道放送で「ヤンキー母校に帰る」などのドキュメンタリー番組を作り、義家弘介氏をスターにした。

義家氏は、母校の教師を辞め、国会議員になる(2024年、衆院選で落選し、政界引退)。

著者は、自分が義家氏をスターにしてしまったことを後悔し、この本を書き上げたそうだ。

本書では、国会議員になる前を「ヨシイエ」、国会議員になってからを「義家氏」と区別する。

数多くの取材対象から分かるのは、義家氏は、すぐにキレ、嘘つきで、平気で他人を傷つけ、裏切る人物だ。
関わる人たちを悲しくさせる。
当然、関係は長くは続かず、彼の周りから人は遠ざかってゆく。

それでも、教員時代のヨシイエ氏には、まだ魅力があったかもしれない。
しかし、国会議員になって、変節し、どんどんと人相が悪くなっていった。

元タレントや元スポーツ選手が、知名度を利用され、政治家になり、顔つきがどんどん悪くなる有名人が多い。
義家氏はその典型だと思う。

とてもおもしろかったが、もやもやするものが残る本だった。

第172回 『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』

『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』(白水社)を読む。

俳人の金子兜太(1919~2018)は、俳壇の枠をこえて活躍した人。
豪快で、愛嬌があって、見ていておもしろい俳人だった。

戦争中は戦地(トラック島)に送られ、地獄を経験したという。
その経験から、生涯、反戦の思いは強かった。

『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』は、1957年から1976年、兜太37歳から56歳までの日記である。

日記では、兜太が、実はとても繊細な面を持っていたということが分かる。
また、当時の俳壇の人間関係や組織の複雑さが書かれていて興味深かった。

『金子兜太戦後俳句日記 第1巻』は450ページで9,900円。
かなりの値段だが、それだけの価値はある。

通っている図書館には第2巻もあったが、しばらく間をおいてから借りようと思う。

彎曲し火傷し爆心地のマラソン  金子兜太

第171回 新聞の魅力

以下は下野新聞(2025年4月17日)に掲載された拙文です。

ネット時代の今 新聞の魅力実感

新聞を読む人が減っている。若い世代だけでなく、子育て世代も読んでいない人が増えている。交流サイト(SNS)全盛の現代、「ニュースはネットやSNSで十分」と考える人が増えているのだろう。そんな時代だが、私は新聞が好きで、下野新聞を含めて二つの紙の新聞を購読している。図書館へ行って、購読紙以外の新聞をチェックすることもある。

ネット時代の現在、速報性という点では新聞はネットにかなわない。しかし、新聞には「記事の信頼性」がある。「見出し」を眺めるだけでも勉強になる。同じニュースを新聞各社がどのように扱っているかを見比べるのもおもしろい。文化面や生活面を読めば教養も身に付く。

12日まで「春の新聞週間」だった。多くの人に新聞の魅力を知ってもらい、新聞を手にとってほしい。

第170回 作家の自筆原稿

以下は下野新聞(2025年5月9日)に掲載された拙文です。

作家の自筆原稿自体が芸術作品

4月11日付本紙に、夏目漱石の自筆原稿が発見されたという記事があった。とても興味深い内容だった。私は作家の自筆原稿を見るのが好きで、文学館や作家の企画展に行くことが多い。

文学館や企画展では、ガラス越しとはいえ、明治や大正、昭和の作家の自筆原稿から

執筆に対しての熱い思いを受け取ることができる。一番印象に残っている自筆原稿は、村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』だ。1990年に、東京池袋の東武百貨店で開催された「昭和の文学展」で見た。原稿用紙に万年筆できちょうめんで整った文字で書かれていて、今でも脳裏に焼きついている。

作家の自筆原稿は、それ自体が芸術作品だ。現代の作家さんは「手書き派」は少数だそうだ。自筆原稿を見る楽しみがなくなってしまうのは残念だが、それも時代の流れなのだろう。