第22回 本郷和人著『歴史学者という病』

歴史学者の本郷和人さん(東京大学史料編纂所教授)の本は、けっこう読んでいる。
その本郷さんが、『歴史学者という病』(講談社現代新書)で、歴史学者のこと、歴史学界のこと、自分のこと包み隠さず書いている。

本郷さん自身のこともさらけ出していて、第一章の「『無用者』にあこがれて」と第二章の「『大きな歴史』との決別」に関しては、さながら私小説のようであっておもしろい。

師との関係、歴史学界の問題点や歴史学の課題など、本当に「こんなにはっきりと書いていいのか」と思うくらいだ。
「ぜんぶ、言っちゃうね」「歴史学は奥も闇も深い」という帯のキャッチコピー通りである。

ただし、これは怨念の詰まった暴露本などではない。
読んでいて痛快な本である。
マンガでいえば、島本和彦さんの『アオイホノオ』(小学館)のような感じ。

還暦を過ぎても常にエネルギッシュな本郷さんの益々のご活躍をお祈り申し上げます。

第21回  戦後77年目の終戦日

今日は戦後77年目の終戦日である。
テレビやラジオでは、アジア・太平洋戦争についての特集番組が放送されている。
私は、そのいくつかの番組を見たり聞いたりしている。

戦争を経験された方々が少なくなっている。
戦争の実態を知り、それを次の世代に伝えてゆくことはとても大切なことだ。

文藝春秋は、創立100年と雑誌「文藝春秋」創刊100年の企画として、同社から刊行されている名著3作品を漫画化している。
その原作の3作品は、辺見じゅん著『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』、半藤一利著『日本のいちばん長い日』、山崎豊子著『大地の子』である。
漫画版の『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』は1冊、『日本のいちばん長い日』が上・下2冊、『大地の子』は全5冊だ。

とりあえず、漫画版の『日本のいちばん長い日』上・下と『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』を読んでみた。
以下、『日本のいちばん長い日』の上巻と『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』の帯である。

  • 『日本のいちばん長い日』

敗戦濃厚な昭和20年夏。ポツダム宣言を巡り、内閣の意見は割れていた。無条件降伏を主張する海軍、外務省に対し、陸軍、参謀本部は「国体護持の保証がない限り徹底抗戦」と譲らない。原爆投下、ソ連参戦と追い詰められるなか、ついに昭和天皇の聖断を仰ぐことに―。

  • 『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』

1957年 敗戦から12年後に遺族が手にした6通の遺書。

シベリア抑留中に死んだ元一等兵、山本幡男が書き残した遺書は、彼を慕う仲間たちによる驚嘆すべき方法を使って、厳しいソ連監視網をかい潜り、日本へと持ち帰られた。

悪名高き強制収容所(ラーゲリ)に打ち勝った男たちの、勇気と知性の物語。

どちらも、学ぶこと、考えさせられることの多い作品だった。

今、ロシアがウクライナに侵攻して、毎日たくさんの人々が亡くなっている。
戦争をしても、誰も幸せにはならない。多くの人々の死があるのみだ。
日本は77年間、一度も戦争をしていない。とてもすばらしいことなのだが、ここ十数年の様子を見ていると、この先は分からない。

二度と戦争を繰り返さないためにも、私たちは、日本の愚かで悲惨な戦争を知り、次の世代に伝えていくべきだ。
それと同時に、私たち一人ひとりが賢くなる必要があると思う。

第20回 中村選手、おめでとうございます!

昨日の楽天戦で、埼玉西武ライオンズの中村剛也選手(38)が通算450号本塁打を達成した。
これはプロ野球史上14人目だそうである。
しかも、この450号は通算1000得点でもあって、本当にすごいと思う。
中村選手は、やはり「持ってる」選手だ。

仕事を終えて、帰宅してからネットでその瞬間を確認した。

1ボール2ストライクからの4球目をレフトスタンド中段に叩き込んだ。
450号も、中村選手らしい高々と放物線を描くきれいなホームランだった。

相手バッテリーは元ライオンズの岸投手と炭谷捕手というのもなかなかおもしろい。
2つの記録を同時に達成したということで、中村選手は用意されていたお祝いの2つのボードを順番に掲げたが、こんなシーンはとても珍しいと思う。

中村選手、本当におめでとうございます!
次は目標の500号です。
また、一本一本積み上げていって下さい。応援しています。

第19回  浦沢直樹著『20世紀少年』(ビッグコミックス)

私にとって、今一番の関心事は「統一教会と自民党議員の関係」である。
連日、次から次へと新しい事実が発覚して、驚いたり、憤ったりしている。
長年にわたってカルト宗教が日本の政治に強い影響力を持っていたのかと思うと、本当にぞっとする。

今回のことに関して、がんばっている新聞やテレビ局がある。
その一方で、まったく報道しない、ほとんど報道しない新聞やテレビ局もある。
後者のニュースにしか接していない人は、別な世界に生きているようなものだと思う。
われわれ国民は、この現実を理解した上で、世界や日本で起きていることを判断すべきである。

現代はネットが普及していて本当に良かったと思う。

がんばっている報道機関を応援したい。
そして、日本をまともな国に戻すように、さらにがんばって欲しい。

今回のことで、ずいぶん前に読んだマンガを思い出した。
浦沢直樹さんの「20世紀少年」(1999~2006年)である。

作中、カリスマ性のある「ともだち」というカルト宗教の教祖が出てきて、世界の滅亡を企てる。
そして、「友民党」という政党を作って、政治の世界にも介入し、国を動かし始めるのだ。
多くの国民も「ともだち」に洗脳されてしまう。

このマンガの詳しい内容は忘れてしまったが、「ともだち」や「友民党」、「ともだち」に洗脳されてしまった政治家や国民に薄気味悪さを感じたものだ。
まさか、現実にこのマンガと似たようなことが日本で起こるなんて。本当に信じられない。
驚きと強い憤りを感じる。

「統一教会と自民党議員の関係」をすべて明らかにし、関係していた議員は反省し、きっぱりと手を切ってほしい。
日本の政治が正常になることを願っている。 そのためにも、がんばっているジャーナリスト、弁護士、政治家や報道機関を応援したいと思う。

第18回 粥川すず著『エリートは學び足りない』(モーニングKC)

マンガ、粥川すず著『エリートは學び足りない』(モーニングKC)を読んだ。

舞台は大正時代の旧制高校である。
野生児の大石君は親友が欲しかった。そして、新入生入寮の日に、文芸新人賞を受賞してすでに有名だった梅原君を親友と決め、「親友になってくれ」と猪突猛進で攻めまくる。
『エリートは學び足りない』は、この二人を軸に物語は進む「旧制高校友情コメディー」である。

旧制高校は、明治から昭和前期に日本にあった高等教育機関である。
現在の高校と違って、「四年制大学の教養部」といった位置づけであった。
入学枠は非常に少ない。全寮制の男子のみの超エリート教育機関だ。
旧制高校はどんどん増えていって、一番多い時で約40校存在した。
そのなかでも「ナンバースクール」という第一高等学校から第八高等学校はさらに「狹き門」であった。

時期にもよるが、学科を選ばなければ、旧制高校の卒業生は帝国大学(東京、京都、東北、九州、北海道、京城、台北、大阪、名古屋)に入学できたそうである。
戦後、日本の植民地であった京城(現在の韓国のソウル)、台北(台湾)は廃止され、残りの7校が新制大学、いわゆる受験界での「旧帝」になった。
旧制高校に入学することは、現在の難関大学に入学するよりもはるかに難しかったと思う。

学帽にマント、下駄に手拭い、バンカラな学生たちが、寮生活の中で、酒を飲み、煙草を吸い、文学書や哲学書を読み、人生を語る、旧制高校にはそんなイメージがある。

昔々、文学部史学科の学生だった私は、「明治期の師範学校」をテーマにして卒業論文を書いた。その流れで旧制高校についても調べてみた。
そんなわけで、このマンガはとても興味深く読むことができた。

第2巻の発売は今年の12月頃だそうだ。
今からとても楽しみである。

第17回 大きな決断

30年以上購読していた新聞を辞めることにした。

大好きな新聞だった。
しかし、ここ数年、内容がどんどんひどくなっていた。
権力に対する批判精神がなくなり、「どうしちゃったの?」と思うことが多くなっていたのだ。
それでも、大学生の頃から読み続けてきたこともあり、愛着もあったので購読を辞めるという決断はできなかった。

しかし、今、多くの国民が関心を持っているはずの「自民党議員と統一教会との関係」について、ちゃんと報道しないのである。
いつになったら報道するのかと思っていたが、残念ながら、まともに切り込み、記事にするつもりはないらしい。

報道に関して、何年も前から「新聞やテレビが駄目になった」と言われていた。
そして、今回のことで本当にそう思った。
週刊誌やネットテレビ、一部の地方紙などはがんばっている。
しかし、全国紙や地上波テレビは本当に駄目になってしまったと思った。

残念ながら、全国紙と地上波テレビだけを見ていたのでは社会の真実は見えてこないだろう。
今の時代、ネットがあって本当に良かったと思う。

マスメディアは権力にすり寄ってはいけない。
権力に対して、常に批判精神を持って、緊張感を持って接していなければいけないと思う。
残念ながら、この新聞にはそれがなくなってしまった。
もちろん、社内にはがんばっている記者さんもたくさんいると思う。
しかし、それが記事に反映されていないのだ。
組織の問題なのだと思う。
文化面や連載などは大好きで、毎回とても楽しみにしていたのだけれど。
それが読めなくなってしまうのは本当に淋しい。

「おかしい」と思いつつ購読を続けるのは、信用できない政治家に投票するようなものである。
だから、本当に残念なのだが購読を辞めることにした。
来月からは、がんばっている新聞を購読することにした。

私にとっては非常に大きな決断である。

第16回 忘れられない投手

7月8日に、第104回全国高校野球選手権栃木大会が始まる。
今年もどんな熱戦が繰り広げられるのか、とても楽しみである。

現在、当塾の卒業生たちも3校の高校の野球部に所属している。3年生にとっては最後の大会になる。彼らには悔いのない大会にして欲しいと思う。

栃木大会でも毎年たくさんのヒーローが生まれる。
そして、時間を経っても忘れられない選手がいる。
その中の一人が、2013年、第95回大会の青藍泰斗の澤田大季(ひろき)投手である。

東京出身の澤田投手は、この大会、たったひとりで6試合を投げ抜いた。
投球数は680球だった。
テレビで見ていて、「こんなに投げさせたら壊れてしまうぞ」と心配になったくらいだ。

作新学院との決勝戦、澤田投手は9回2アウトまできた。
あと1つのアウトを取れば甲子園出場が決まる。
しかし、あと1人ということで力尽きてしまった。


ピンチになっても辛い表情を見せず、それどころか苦笑いを見せつつ淡々投げていた。
そんな澤田投手が忘れられない。
試合が終わっても、やりきったという表情がすがすがしかった。

当時、そんな澤田投手を私は短歌にしてみた。
以下がその短歌である。

ピンチでも表情変へず淡々と得意のボールを投げ込む澤田

東京を離れ栃木の高校に来て野球部のエースとなりぬ

六試合をたつた一人で投げてゐる君の顔には疲れが見える

恐らくは気力で投げてゐるのだらう決勝戦のマウンドの君

九回二死走者なしから死球出しエース澤田の調子が狂ふ

六試合六八〇球投げて澤田大季(ひろき)の夏が終はりぬ

名門の作新相手にエース澤田が(せい)(らん)泰斗(たいと)の意地を見せたり

「短歌人 平成二十五年 十月号  第856号」より

高校卒業後、澤田投手は白鷗大に進学した。
そして、投球ホームをアンダースローに変えたということをネットで知った。

さあ、今年はどんな熱戦が繰り広げられるのか。
高校球児のみなさん、がんばってください!
エアコンの効いた涼しい部屋から応援しています!

第15回 山川選手、栗山選手、おめでとうございます!

6月26日の楽天戦(楽天生命パーク)で、埼玉西武ライオンズの山川穂高選手が通算200号本塁打を達成した。
日本人選手最速の697試合目での200号本塁打達成。新記録だそうである。
勢いづいた山川選手は、同じ試合で201号のホームランも打つ。
このニュースは翌日の一般紙(毎日新聞)にも大きく取り上げられていた。

山川選手、200号本塁打達成、おめでとうございます!
山川選手のホームランはベルーナドームで何度も見ていますが、また現地で勢いのあるホームランを見たいと思います。
これからますます暑くなってきます。
「灼熱地獄」「水のないサウナ」などと言われ評判の悪いベルーナドームですが、暑さに負けずにがんばって下さい。応援しています!

6月28日の日ハム戦(ベルーナドーム)で、埼玉西武ライオンズの栗山巧選手が史上12人目となる「同一球場での通算1000安打」を達成した。
しかも記念の1000本目はライトスタンドに打ち込むホームランだった。
栗山選手は昨年に2000安打を達成していたライオンズのレジェンドである。
ヒーローインタビューで栗山選手は次のように語った。目に涙を浮かべていたようにも見えた。

「この球場ができていろんなことがあったと思うんですけど、それでもゲームがある日は当たり前のように僕らはゲームができますし、この環境を整えてくれている球場スタッフ、みなさんに感謝しています。これからも1本でも多くこのベルーナドームでヒットが打てるように頑張ります」

「夏は蒸し暑く、春先と秋口は寒すぎる」と言われ、「12球団で1番環境が悪い」とバカにされるベルーナドームを、こんなふうに言ってくれる栗山選手は、人としても本当にすばらしいのである。

ライオンズ一筋、いつもライオンズ愛を語ってくれる栗山選手、本当におめでとうございます!
チャンスに強く、美しいホームで安打を量産する栗山選手が大好きです。
これからもライオンズの柱として若い選手を引っ張っていって下さい。応援しています!

開幕から選手のケガやコロナ感染などで調子が悪かったライオンズ。
5位に低迷していた時期もあったが、少しずつ選手が戻ってきて戦力が整ってきた。
そして、なんと昨日で5連勝。
1位のソフトバンクとの差は2.5ゲーム差まで縮まった。

選手のみなさん、まだまだシーズンは長いですが、暑さに負けずにがんばって下さい!

第14回 残念!

メジャーリーグ、パドレス傘下3A・エルパソを自由契約となっていた秋山翔吾選手(外野手)がNPBの広島に入団することが決まった。

日本球界に戻ってくると決まったとき、古巣の埼玉西武ライオンズに復帰すると思っていたし、そうなることを願っていた。多くの西武ファンも同じ思いだったと思う。
ソフトバンクと広島が獲得に乗り出したときも、「広島入団はないだろう」というのが大方の予想だった。
しかし、蓋を開けてみれば「広島入団決定」であった。

西武を含めた3球団と交渉し、あとは秋山選手本人の決断を待つだけとなってから、私は大きな期待と少しの不安を抱えながら過ごしていた。それでも、ファンを大切にする秋山選手のことだから、古巣のライオンズを選んでくれるだろうと思っていた。
また背番号55のレプリカユニフォームを着て応援に行ける、球場で秋山選手の登場曲「人にやさしく」を聞ける、応援歌を聞ける(そのうち、また歌える)、と思っていただけにショックは大きかった。

実は、秋山選手のライオンズ復帰が決まったら、「おかえりなさい、秋山翔吾選手!」というタイトルでブログを書こうと思っていたのだが、その計画は潰えてしまった。

もちろん、秋山選手の野球人生だ。ファンがとやかく言うことはできない。自分の選択した場所で大いにがんばってもらいたい。
でも、ファンとしては本当に残念、がっかりである。

こうなってくると、「生涯ライオンズ」を宣言してくれた栗山巧選手や中村剛也選手は、ファンとしては本当にありがたい存在である。
また、国内FA権を行使した上でライオンズに残留してくれた増田達至投手、十亀剣投手、岡田雅利捕手、国内FA権を取得予定であったところを4年の長期契約をしてライオンズに残ってくれた金子侑司選手などにも感謝である。

当塾の卒業生で現高3生のRくんもライオンズファンだが、彼は今回のことをどう感じているのだろうか? いろいろと話して傷をなめ合いたいところである。
R君、連絡を求む!

落ち込むのは今日だけにしよう。
秋山選手がいなくても、ライオンズは若手の外野手が育ってきている。
明日から気持ちを新たに、またライオンズを応援しよう。

アアア ライオンズ
ライオンズ ライオンズ
ミラクル元年 奇跡を呼んで
獅子よ吠えろよ 限りなく
ライオンズ
ウォウォウォ ライオンズ
ウォウォウォ ライオンズ
ライオンズ

第13回 大きな宿題

以下はご本人の承諾を得た上で書く。

今年の5月某日。
Bさんからお手紙をいただいた。
Bさんとは約16年のおつき合いになる。

2006年の8月に、「八月の会」主催で、Bさんの朝鮮半島からの引き揚げ体験を真岡でお聞きする機会があった。私は当時小学2年生だった長男と一緒に参加したのだが、それ以来、年賀状や手紙の遣り取りが続いている。

「八月の会」の第一回目のイベントだった。
ネットで調べたところ、「八月の会」は今も続いているようで、現在は真岡市教育委員会共催、下野新聞社・真岡新聞社後援となっていた。

2006年当時、Bさんは73歳だったそうだが、とても若々しく、可愛らしい女性だと思った。

終戦を朝鮮半島で迎えたBさんは当時13歳だった。
ソ連は日ソ中立条約を破棄し、朝鮮半島に進攻した。
Bさんの母親は、13歳だったBさんの顔に墨を塗り、頭を丸め、女の子とわからないようにしたそうだ。ソ連の攻撃を受けながら、両親と叔父一家と逃げていた。その途中で天涯孤独となってしまった。
長崎出身のBさんは、縁あって真岡のBさん夫婦の養女になり、真岡の地で長年美容室を経営されていた。
現在は、Bさんのお弟子さんがこの美容室を引き継がれている。

2006年の夏、それまで語ったことのなかった辛い引き揚げ体験を、涙ながらに話して下さったBさんの姿は今でも忘れられない。

今年5月に頂いた手紙の中に、引き揚げ者の体験談などの書籍や資料などを私に受け取ってほしいと書いてあった。
予定を合わせて、真岡の喫茶店でお会いした。
Bさんは、お弟子さんの運転する車でお見えになった。
約16年ぶりの再会だった。

Bさんは89歳になったと言われていたが、とてもお元気そうに見えた。
約1時間、3人でいろいろなことを話した。
別れ際に、段ボール箱2箱分の書籍や資料、朝鮮半島の手作りの地図などを受け取った。

果たして、私のような者がこのような貴重な資料を受け取ってよいものかどうか、正直戸惑っている。
しかし、Bさんから託されたのだから、これらの資料を少しずつ読み進め、戦争体験を次の世代に伝えていかなければと思った。

Bさんは七夕の日に日本に戻って来られたと話していた。
今年の七夕は、もうすぐだ。