第102回 階段に手すりをつけました!

昨日、階段に手すりをつけました。

既製品ではありません。
大工さんがアイディアを出して下さり、天然無垢材(ひのき)の世界で一つしかないオリジナル手すりです。
握ったときに優しい感じがして心地よく、また壁(天然無垢材)とも合っていて、とても素敵な手すりです。

塾生からも評判が良かったです。
最初に手すりを握った塾生は「なんかすごい!」と感動していました。

素晴らしい手すりを作って下さった大工さん、本当にありがとうございました!

第101回 「真打ち競演」公開収録

5月12日、芳賀町民会館で行われたNHKラジオ「真打ち競演」公開収録に行ってきた。
学生時代のE君からお誘いがあったのだ。

E君は大学時代の同級生だ。
私たちは同じ史学科の学生で、E君は東洋史学専攻、私は国史学(日本史学)専攻だった。

E君は、子供の頃からの大の演芸好きだ。
大学1年生の時、E君は私が落語に興味があるということを知り、寄席(吉池土曜落語会)に連れていってくれた。
それ以降、E君とは学生時代に何度も一緒に寄席に行った。また、私は一人でも寄席に通うようになった。
E君は、私に落語の楽しさを教えてくれた恩人なのである。

今回、E君の紹介で「真打ち競演」公開収録に応募したのだが私は落選した。残念だなと思っていたところ、E君から連絡があった。
E君は当選して、私を誘ってくれたのだ。

当選の確率は約3割だそうである。
彼は東京から電車とLRTとバスを乗り継いで芳賀町民会館にやって来た。

E君と直接会うのは何十年ぶりだろうか?
お互いに「歳をとったね」と笑いつつ、会場に入る。

当日は放送2回分を収録した。
いつも2回分収録するらしい。

1本目(6月1日放送)の出演者は、コント山口君と竹田君、ぴろき(ウクレレ漫談)、春風亭一之輔の各氏。
一之輔師匠の落語は「天狗裁き」。

2本目(6月8日放送)の出演者は、弁財亭和泉、三拍子(漫才)、柳亭市馬の各氏。
市馬師匠の落語は「片棒」。

それぞれの持ち時間はたっぷりあり、中身の濃い芸だった。
正直なところ、1本目だけでも大満足だった。

E君とはせっかくの再会だったので、食事をしながらゆっくりと話をしたかったのだが、私は仕事(授業)があったので、収録後は急いで会場をあとにした。

一日たった後も、余韻に浸っている。
E君、お誘いいただき、ありがとうございました!

第100回 当ブログが100回目を迎えました!

おかげさまで、当ブログ「塾長の気まぐれ日記」が今回で100回目となりました。

第1回目のブログは2022年5月2日でした。
連載開始から約2年で100回目を迎えました。
ご愛顧いただきまして本当にありがとうございます。

無事100回目を迎えることができたことを感謝して、ささやかですがプレゼント企画を行います。

以下のクイズにお答え下さい。
正解者の中から10名の方に図書カード500円分をプレゼント致します。
奮ってご応募下さい。

◎ブログ100回記念クイズ◎

以下の空欄の中に正しい数字を入れて下さい。

尚朋スクールのブログ「塾長の気まぐれ日記」は、2024年5月11日で(   )回目を迎えました。

答えの分かった方は、答えと必要事項をご記入の上、以下の方法でご応募下さい。

記入事項

  1. クイズの答え
  2. ブログ「塾長の気まぐれ日記」の感想(必ずお書き下さい。)
  3. 名前(本名)、住所、電話番号、職業・学校名と学年
  4. 正解者の発表時のネーム(本名でも構わない場合は書かなくてOKです。)

応募方法

① 塾長とLINEがつながっている方はLINEでお送り下さい。

② 塾生は用紙(用紙は自由)に必要事項を書き、それを塾長に直接渡してくれてもOKです。

③ 上記以外の方は、塾のホームページの「お問い合わせフォーム」からお送り下さい。

締切日

6月9日(日)

当選者の発表

当ブログ上で発表します。


◆いただいた感想は当ブログ上で発表する場合があります。あらかじめご了承下さい。

今後もよろしくお願い申し上げます!

第99回 77回目の憲法記念日

5月3日は憲法記念日だった。
日本国憲法施行から77年目の憲法記念日である。

この日、届いた朝刊(東京新聞)をじっくりと読んだ。
東京新聞の一面は、弁護士の伊藤真さんによる第13条(個人の尊重)の解説だった。
社説も憲法について。その他にも憲法についての記事が多く、読み応えがあった。

翌日(5月4日)の東京新聞一面トップは「第10回目の護憲派の大規模集会」の記事。
さすがである。
なお、5月4日の下野新聞も2面に大きな記事があった。下野新聞もがんばっている。
全国紙はどのような扱いだったのだろうか?
後日、図書館で調べてみるつもりだ。

私は、日本国憲法は世界に誇れるすばらしい憲法だと思っている。
日本が80年近く戦争をしなかったのはこの憲法があったおかげだ。
世界の評価は非常に高いのである。

改憲勢力が目指している憲法草案を読むと、非常に恐ろしい。
国民の主権は失われ、言論の自由はなくなり、戦前のような社会になってしまう。
そして、時の政府による独裁が可能となってしまう。
ヒトラー率いるナチスドイツが行ったような社会になってしまうだろう。
「改正」ではなく、明らかに「改悪」だ。

とくに「緊急事態条項」が危ない。
「緊急事態条項」をコロナ禍の「緊急事態宣言」に毛が生えたくらいに思っている人も多いのだが、まったく別物であるということを知ってほしい。

「なんとなく憲法を改正した方がいい」と思っている人には、自民党の改憲草案と現在の日本国憲法を読み比べて欲しいと思う。

ロックミュージシャンの忌野清志郎さんに「善良な市民」(1993年)というすごい歌がある。
「泥棒が憲法改正の議論をしている」で始まる歌だ。
この歌、30年以上も前に作られた歌なのだが、今の日本は、この歌で歌われている社会とそっくり(危機的な状況という意味で)で怖くなってしまう。
是非、たくさんの人にこの歌を聞いてほしい。
そして、平和について、戦争について、憲法について考えてほしいと思う。

※日本国憲法は中学生が使用している公民の教科書にも載っています。

※写真は教科書『新しい社会 公民』(東京書籍)と『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット、2005年)

第98回 ゴールデンウィーク2024

ゴールデンウィークが始まった。
きょうから3連休、そして5月3日から4連休である。
人によっては10連休という人もいるだろう。
その一方で、ゴールデンウィークは仕事、稼ぎ時という人もいるはず。
大型連休中もお仕事のみなさま、お疲れさまです!

私は、ゴールデンウィークは以下のことをしたいと思っている。

読書(写真)、職場の草刈り、仕事(たまった経理作業や塾通信・合格特集号の編集作業、職場の大掃除など)、本の整理、書斎(ごみの部屋)の掃除など。


長男と次男が帰省するので、昨年亡くなった父を偲んでの追悼BBQをすることになっている。
父は昨年のゴールデンウィークに家族でBBQをした後、すぐに入院、施設へ入居することになった。

結局、家に戻ることはなく、10月に他界してしまったのだ。

明日は、大学の先輩ご夫妻が益子町の陶器市にいらっしゃる。
そして、職場(塾)で再会することになっている。
先輩と直接お会いしたのは20年近く前になるだろうか。
お会いできるのを楽しみにしている。

予定がつけば、高校野球も観戦したい。
また、しもだて美術館で開催中の「みうらじゅんFES マイブームの全貌展」にも行きたい。

やりたいこと、しなければならないことはたくさんある。
それでも、そのうちの7割できれば十分だ。

みなさま、すばらしいゴールデンウィークをお過ごし下さい!

◆お知らせ◆
当ブログ「塾長の気まぐれ日記」がもうすぐ100回目を迎えます。
100回を記念して、プレゼント企画を行います。
詳しくは、「塾長の気まぐれ日記」の100回目で発表します。

第97回 永井紗耶子著『きらん風月』

永井紗耶子著『きらん風月』(講談社)を読む。

主人公は江戸時代中期の文化人、栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん)。
私は、この小説を読むまで鬼卵のことは知らなかった。

鬼卵は、60歳を過ぎてから精力的に戯作を発表した人物で、その交友関係、文人墨客たちとの関係は広い。
作品には、絵師の円山応挙や読本作者の滝沢馬琴、儒学者の海保青陵など、歴史の教科書に出てくるような人物も出てくる。

老中を辞め、家督を譲った松平定信が、お忍びで掛川にいる鬼卵を訪ねてくる。
そして、鬼卵と定信は長時間語り合う。
それは、鬼卵のこれまでの人生を振り返ることでもあった。

松平定信は、老中となり、寛政の改革を行った。
定信が、綱紀粛正や出版統制をしたことで文化人を追い詰め、文化を潰し、庶民を萎縮させたということは、中学校の歴史でも勉強する。

鬼卵は、眼の前の人物が松平定信であると知った上で(本人は認めないが)、定信の行った政治を痛烈に批判する。
定信はむっとするものの、最後は苦笑いをしつつ、鬼卵と別れる。

作品中、きらりと光る言葉がたくさんあった。
以下、3つほど挙げておく。

「縁いうもんは繋がるけれども切れるのも一瞬。それを繋ぎ続けられる者は信じるに足る人やて、お互いに思ってるからや。そして、信用は金にも勝るからな」

「暇を潰すだけで生きるには、人生は長い」

多くの出会いが、いつも背を押してくれた。

『きらん風月』、ハードカバーで300ページ以上の作品であったが、あっという間に読んでしまった。
星5つ(5個中)の作品である。
永井さんの他の作品も読んでみたいと思う。

第96回 地震のたびに

4月17日の午後11時14分頃、豊後水道を震源とする地震があり、愛媛県と高知県で最大震度6弱の揺れを観測した。

今年は1月1日に能登半島地震があった。
その後の大地震である。

大地震があるたびに原発が心配になる。
今回の震源付近には伊方原発(愛媛県)がある。
報道によれば、伊方原発3号機で地震が原因とみられる異常が見つかったが、運転に影響はないということだ。

しかし、大地震後の原発に関しては、いつも最初は「問題ない」「異常なし」なのである。
その後、かなり時間が経ってから、「実は重大な事故があった」と報道されることも少なくないのだ。

2011年3月11日に福島第一原発事故が起こった。
その事故処理は進んでいないし、今後の見通しも立っていない。
それなのに、国と電力会社は、原発再稼働、原発新増設に舵を切った。

4月15日、東京電力は、新潟県にある柏崎刈谷原発7号機の原子炉内核燃料を入れる装填作業を開始したと発表した。
「地元の同意のないまま」に、再稼働の準備を始めたのである。

地震大国の日本に原発は危険すぎる。
福島第一原発事故の教訓を忘れ、原発再稼働、原発の積極活用に進む姿勢が信じられない。

この国はどこへ向かおうとしているのだろうか?

第95回 春の新聞週間に

4月6日から一週間は「春の新聞週間」だった。
ということで、過去に書いた拙文を紹介します。
以下は、2023年の東京新聞(9月21日朝刊)に掲載されたものです。

「権力に忖度しない新聞であって」

10日社説で、桐生悠々が紹介されていた。この日が悠々の命日だとは知らなかった。

世の中が軍国主義に傾いてゆく中、悠々は在郷軍人会の圧力で職場を追われながらも、個人誌「他山の石」を発行して言論活動を続けたという。困難な状況にめげず、国民に真実を伝えようとしたことは相当勇気が要ったはずだ。あの時代の日本に桐生悠々がいたことに勇気づけられる。

社説には「『言いたいこと』ではなく、権力者に対して『言わねばならないこと』を言い続けることが新聞などの言論の役割なのです」と書かれていた。まさにその通りだ。

残念ながら、いつの間にか日本では権力者に忖度する報道ばかりになってしまった。コロナ禍で、その流れはさらに加速したと感じる。大手メディアの報道だけでは、日本で今起こっていることや問題点は分からないだろう。SNSを利用して自ら正しい情報を得ようとしている人と、権力に忖度した報道を垂れ流すテレビや新聞に触れているだけの人とでは、見えている世界がかなり違っているのではないだろうか。

新聞離れが言われて久しい。その背景には、新聞自体が金を払ってまで読む価値がなくなってしまったことあるのではないか。

そのような中、東京新聞はジャーナリズム精神を失っていない数少ない新聞だと信じている。これからも東京新聞には「権力におもねらない新聞」であってほしいと思う。

第94回 2024年本屋大賞

4月10日の今日、「2024年本屋大賞」が発表された。
私の予想通り、そして私が応援していた宮島未奈さんの『成瀬は天下を取りにいく』(新潮社)に決定した。

宮島さん、おめでとうございます!

今年の1月に、成瀬あかりシリーズ第二弾『成瀬は信じた道をいく』(新潮社)が発売された。
この本では、主人公の成瀬あかりは大学生(京大生)になり、さらに我道を進んでいる。そして、成瀬と関わった人たちを良い方向に変えてゆく。

今から続編を期待している。
是非、このシリーズを続けて欲しい。
社会人になった成瀬あかりを、中年になった彼女を見てみたい。そして、元気をもらい。

宮島さん、よろしくお願い致します!

※当ブログ48回で『成瀬は天下を取りにいく』の感想を書きました。

第93回 真岡新聞休刊

4月4日の下野新聞に、真岡新聞休刊の記事があった。
その日、当塾には真岡新聞社から休刊を知らせる封書が届いた。

当塾は真岡新聞社とは長いつき合いがあった。
毎年2月の「塾特集」には参加していた。
また、新聞の折込チラシをお願いしていた印刷会社が東日本大震災後に倒産した後は、真岡新聞社を通してチラシの作成、印刷、配付などの手配などをお願いしていた。
長いつき合いがあった会社がなくなってしまうのは非常に残念である。

真岡新聞は1983年に創刊され、3月29日に2000号を迎えた。
その2000号を区切りとして休刊を決め、41年の歴史に幕を閉じたのである。

紙の新聞社はどこも苦戦している。
これも時代の流れなのかもしれない。


私は紙の新聞が大好きで、東京新聞と下野新聞の2紙を購読し、毎日楽しみに読んでいる。
しかし、一般的にはそうではないようだ。

真岡新聞は、地元の話題や催しのニュース、求人広告が中心の新聞だった。
そんな新聞を楽しみにしていた人たちも少なくなかったと思う。

真岡新聞休刊を知って、これまで関わってきた真岡新聞社の方々、Tさん、Yさん、Iさん、Hさんなどの顔が浮かんできた。
真岡新聞社のみなさま、これまで本当にお世話になりました。