第27回  作家・島田雅彦さんのこと

島田雅彦さんの私小説『君が異端だった頃』(集英社文庫)を読んだ。

少年時代から30歳くらい、「青春の終焉」までをすべてさらけ出している。
おもしろかった。ぐいぐい引き込まれた。
しかし、読み終えてどっと疲れた。

すべて読み終えた感想を一言で言うと、「作家はすごい」というものだ。
自身の不倫、そして妻とのごたごたまで書いている。
これが作家魂というものなのだろう。

島田雅彦さんは、大学在学中の1983年に文芸誌「海燕」デビューし、その後6回芥川賞候補になるも、すべて落選。落選最高記録をお持ちである。

私は学生時代に、島田さんのこの6作品すべてを読んだ。その他、初期の作品はだいたい読んだと思う。
文芸誌「海燕」は「福武書店」(現在のベネッセコーポレーション)が発行していた。
「海燕」は1996年11月号を最後にして廃刊された。

二十年くらい前、持っていた島田さんの本のほとんどをブックオフに売ってしまった。
正直、後悔している。

島田さんの初期作品をネットで探したところ、河出文庫から『島田雅彦 芥川賞落選集』が上・下巻が出ていた。さっそく注文した。
さらに、現在たいへん話題になっている島田さんの政治小説『パンとサーカス』(講談社)も同時に注文した。

『パンとサーカス』はハードカバーで557ページの大作だ。
これからこの作品をじっくりと読むつもり。
しばらくは「島田雅彦ワールド」の住民になりそうだ。

島田さんは次男が通う大学の教授(国際文化学部)である。
次男は法学部に所属しているが、在学時に島田さんの授業を履修するように伝えてある。
「教授・島田雅彦」の話を聞けるのを今から楽しみにしている。

第26回 プロ野球ドラフト会議が楽しみ

今年のプロ野球ドラフト会議は10月20日(木)だ。

今年のプロ野球ドラフト会議は10月20日(木)だ。
気のせいか、ドラフト会議は毎年木曜日にあるような気がする。

自分の人生とはまったく関係ないのに、なぜわくわくするのだろう。
新たなヒーローの誕生、そこに立ち会える喜び、そんな理由からだろうか。

今年は栃木で国体が開催されており、高校野球(硬式)の試合が宇都宮清原球場で行われた。
甲子園常連校の試合を地元で観戦できる、こんなチャンスはめったにない。
そう思い、私は10月3日(月)と5日(水)のチケットを手に入れた。
結局、3日の試合だけ観戦した。
5日は悪天候のため、行くのをとりやめたのだ。

3日の試合は、「国学院栃木―聖光学院」と「下関国際―大阪桐蔭」の二試合だった。
高校生とは思えないほどのすばらしいプレーが眼の前で繰り広げられた。これは一生の宝である。
この選手たちの中から何人かが今年のドラフト会議で指名されるのだ。
そう思うと、とてもわくわくする。

プロ野球のスカウトたちをテーマにしたマンガがある。
クロマツテツロウさんの『DRAFT KING』(集英社)だ。

このマンガは、スカウトたちのプロの仕事ぶりを知ることができて興味深い。
そして、野球に対しての愛を感じる。
ユーモアもあり、絵もきれいでとても読みやすい野球マンガだ。
クロマツさんの『野球部に花束を』(秋田書店)も名作である。

『DRAFT KING』、第1巻は2019年8月に発行された。
今から3年ほど前だ。
私は、その時に第1巻を買って読み、新刊が発売されるたびに読み進めてきた。
5巻まで読んだのだが、その後、その存在をすっかり忘れていた。


しかし先日、書店でたまたま12巻を見つけた。
気づかないうちに、話は12巻まで進んでいたようだ。 今、第1巻から読み返している。
是非、今年のドラフト会議の日までに12巻まで読み進めたいと思っている。

第25回  義父のお葬式

9月26日に、末期がんのため義父が亡くなった。享年87歳だった。

ここ数年、入退院を繰り返していた。
義父が亡くなる10日ほど前に、私は妻や子供たちと共に退院して一時帰宅していた義父を見舞いに行った。
そして、その日が義父と話した最後の日となってしまった。

義父はベッドに横たわり、すっかりと痩せ細ってしまっていたが、一生懸命に話そうとしてくれた。
かすれ声であったが、いつものユーモアある発言に、つい何度も笑ってしまった。
義父は、最後まで明るく、前向きに生きようとしていた。

29日に告別式があったが、とても温かいものだった。
葬儀委員長のあいさつも、喪主の義兄のあいさつもどちらも心がこもっていて、つい涙ぐんでしまった。
義父が周りから愛されていたことが伝わってきた。

祭壇に飾られた遺影は、2年ほど前に長男が撮影したものだ。
私の長男は、高校、大学、大学院時代の9年間写真部だった。
義父は、病状が悪化する前に、孫である長男に遺影の撮影をお願いしていたのだ。

故人を偲ぶメモリアルコーナーには、義父の子供時代の一族の集合写真(義父は紺絣を着ていた)、若かった頃、働き盛りの頃、炬燵にあたりながら孫(私にとっての姪)を抱いている写真などがあった。


「百姓」ということに誇りを持ち、義母と二人で菊作りに精を出し、4人の子供を育てあげた義父。
その義父が、義母と二人で菊畑で働いている写真を見ると、つい涙が出てきてしまった。

私は、義父と政治の話をするのが楽しかった。
もう話す機会がないと思うと、とても寂しい。

告別式当日は、浅間山をはじめとした高い山々の上空に鱗雲が広がっていた。
そして、どこかから金木犀の香りが漂ってきた。
そんな秋らしい日に、義父は天国へ旅立ったのである。
                                      合掌

第24回 鈴木忠平著『虚空の人』(文藝春秋)

鈴木忠平著『虚空の人 ~清原和博を巡る旅』(文藝春秋)を読んだ。
これは、元プロ野球選手であった清原和博を4年間にわたって取材し書かれた本である。

私は今年の1月に、鈴木さんの前著『嫌われた監督 ~落合博満は中日をどう変えたか~』(文藝春秋)をたいへん興味深く読んでいたので、今回も楽しみにページを繰った。

高校野球のヒーロー、プロ野球でも活躍した清原和博は、現役時代から素行の悪さでも有名であった。
引退後、タレントとして活動していたが、素行の悪さはエスカレートし、ついに、覚醒剤に手を出してしまう。
そして、2016年に逮捕された。
この本は、逮捕後の2017年初夏から約4年間にわたっての記録である。

清原本人だけでなく、彼に関わった人々を取材することで、人間・清原和博がくっきりと浮かび上がってくる。
裏表のない明るさ、無邪気さ、繊細さ、未熟さを持った人間。
良く言えば「ピュア」、悪くいえば「精神的に未熟」ということだろう。

「KKコンビ」の桑田真澄との関係、桑田への複雑な思い、そしてドラフトの裏側なども書かれていてたいへん興味深かった。

2020年6月に、清原和博の執行猶予期間は満了した。
しかし、今も日々、心身の闘いは続いているという。

『虚空の人』は期待を裏切らない作品であった。


※読みやすさを考慮して、本文中、清原和博と桑田真澄両氏の敬称を略した。

第23回 歴史学者・清水克行さんのコラム

統一教会と自民党、統一教会と安倍晋三元首相の深い関係が明るみになってから、「週刊文春」を買って読むことが増えた。
雑誌なので、注目の記事以外もぱらぱらとページをめくって読む。
その中に、とても興味深い連載コラムがあった。

歴史学者・清水克行さん(明治大学商学部教授・日本中世史)の「室町ワンダーランド」だ。
私が読んだ数回分のコラムでは、清水さん自身のこれまで、歴史に興味を持った子供時代、大学時代などのことが書かれていた。

私自身、大学時代は文学部史学科に所属していて、清水さんと同じ時期に学生時代を過ごしていたので、清水さんのコラムはとても懐かしい感じがする。

9月1日号、第17回の「室町ワンダーランド」は、『先生との出会い』というタイトルで、清水さんとその師である藤木久志さんのことが書かれていた。
とても心温まる文章であったが、その中に、以下の一文があった。

歴史学界では、研究者の名前を呼ぶとき、「~先生」とは呼ばずに、どんな偉い先生であっても必ず公の場では「~さん」と呼ぶ習慣がある。

そして、清水さんは、「研究者は互いに対等」という考えに基づいてそのような習慣になったと書いている。

確かに、史学科に所属する学生や大学院生は、研究者の名前を呼ぶとき「~さん」と言っていた。
先輩方がそう呼んでいるから、私もなんの疑問も持たずに同じようにしていたが、そのような深い理由があったとは。
大学を卒業して30年くらい経つが、この理由を知ってちょっと感動してしまった。

ちなみに、農学部出身の妻に聞いたところ、歴史学界のような習慣はないそうである。

第22回 本郷和人著『歴史学者という病』

歴史学者の本郷和人さん(東京大学史料編纂所教授)の本は、けっこう読んでいる。
その本郷さんが、『歴史学者という病』(講談社現代新書)で、歴史学者のこと、歴史学界のこと、自分のこと包み隠さず書いている。

本郷さん自身のこともさらけ出していて、第一章の「『無用者』にあこがれて」と第二章の「『大きな歴史』との決別」に関しては、さながら私小説のようであっておもしろい。

師との関係、歴史学界の問題点や歴史学の課題など、本当に「こんなにはっきりと書いていいのか」と思うくらいだ。
「ぜんぶ、言っちゃうね」「歴史学は奥も闇も深い」という帯のキャッチコピー通りである。

ただし、これは怨念の詰まった暴露本などではない。
読んでいて痛快な本である。
マンガでいえば、島本和彦さんの『アオイホノオ』(小学館)のような感じ。

還暦を過ぎても常にエネルギッシュな本郷さんの益々のご活躍をお祈り申し上げます。

第21回  戦後77年目の終戦日

今日は戦後77年目の終戦日である。
テレビやラジオでは、アジア・太平洋戦争についての特集番組が放送されている。
私は、そのいくつかの番組を見たり聞いたりしている。

戦争を経験された方々が少なくなっている。
戦争の実態を知り、それを次の世代に伝えてゆくことはとても大切なことだ。

文藝春秋は、創立100年と雑誌「文藝春秋」創刊100年の企画として、同社から刊行されている名著3作品を漫画化している。
その原作の3作品は、辺見じゅん著『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』、半藤一利著『日本のいちばん長い日』、山崎豊子著『大地の子』である。
漫画版の『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』は1冊、『日本のいちばん長い日』が上・下2冊、『大地の子』は全5冊だ。

とりあえず、漫画版の『日本のいちばん長い日』上・下と『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』を読んでみた。
以下、『日本のいちばん長い日』の上巻と『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』の帯である。

  • 『日本のいちばん長い日』

敗戦濃厚な昭和20年夏。ポツダム宣言を巡り、内閣の意見は割れていた。無条件降伏を主張する海軍、外務省に対し、陸軍、参謀本部は「国体護持の保証がない限り徹底抗戦」と譲らない。原爆投下、ソ連参戦と追い詰められるなか、ついに昭和天皇の聖断を仰ぐことに―。

  • 『ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉』

1957年 敗戦から12年後に遺族が手にした6通の遺書。

シベリア抑留中に死んだ元一等兵、山本幡男が書き残した遺書は、彼を慕う仲間たちによる驚嘆すべき方法を使って、厳しいソ連監視網をかい潜り、日本へと持ち帰られた。

悪名高き強制収容所(ラーゲリ)に打ち勝った男たちの、勇気と知性の物語。

どちらも、学ぶこと、考えさせられることの多い作品だった。

今、ロシアがウクライナに侵攻して、毎日たくさんの人々が亡くなっている。
戦争をしても、誰も幸せにはならない。多くの人々の死があるのみだ。
日本は77年間、一度も戦争をしていない。とてもすばらしいことなのだが、ここ十数年の様子を見ていると、この先は分からない。

二度と戦争を繰り返さないためにも、私たちは、日本の愚かで悲惨な戦争を知り、次の世代に伝えていくべきだ。
それと同時に、私たち一人ひとりが賢くなる必要があると思う。

第20回 中村選手、おめでとうございます!

昨日の楽天戦で、埼玉西武ライオンズの中村剛也選手(38)が通算450号本塁打を達成した。
これはプロ野球史上14人目だそうである。
しかも、この450号は通算1000得点でもあって、本当にすごいと思う。
中村選手は、やはり「持ってる」選手だ。

仕事を終えて、帰宅してからネットでその瞬間を確認した。

1ボール2ストライクからの4球目をレフトスタンド中段に叩き込んだ。
450号も、中村選手らしい高々と放物線を描くきれいなホームランだった。

相手バッテリーは元ライオンズの岸投手と炭谷捕手というのもなかなかおもしろい。
2つの記録を同時に達成したということで、中村選手は用意されていたお祝いの2つのボードを順番に掲げたが、こんなシーンはとても珍しいと思う。

中村選手、本当におめでとうございます!
次は目標の500号です。
また、一本一本積み上げていって下さい。応援しています。

第19回  浦沢直樹著『20世紀少年』(ビッグコミックス)

私にとって、今一番の関心事は「統一教会と自民党議員の関係」である。
連日、次から次へと新しい事実が発覚して、驚いたり、憤ったりしている。
長年にわたってカルト宗教が日本の政治に強い影響力を持っていたのかと思うと、本当にぞっとする。

今回のことに関して、がんばっている新聞やテレビ局がある。
その一方で、まったく報道しない、ほとんど報道しない新聞やテレビ局もある。
後者のニュースにしか接していない人は、別な世界に生きているようなものだと思う。
われわれ国民は、この現実を理解した上で、世界や日本で起きていることを判断すべきである。

現代はネットが普及していて本当に良かったと思う。

がんばっている報道機関を応援したい。
そして、日本をまともな国に戻すように、さらにがんばって欲しい。

今回のことで、ずいぶん前に読んだマンガを思い出した。
浦沢直樹さんの「20世紀少年」(1999~2006年)である。

作中、カリスマ性のある「ともだち」というカルト宗教の教祖が出てきて、世界の滅亡を企てる。
そして、「友民党」という政党を作って、政治の世界にも介入し、国を動かし始めるのだ。
多くの国民も「ともだち」に洗脳されてしまう。

このマンガの詳しい内容は忘れてしまったが、「ともだち」や「友民党」、「ともだち」に洗脳されてしまった政治家や国民に薄気味悪さを感じたものだ。
まさか、現実にこのマンガと似たようなことが日本で起こるなんて。本当に信じられない。
驚きと強い憤りを感じる。

「統一教会と自民党議員の関係」をすべて明らかにし、関係していた議員は反省し、きっぱりと手を切ってほしい。
日本の政治が正常になることを願っている。 そのためにも、がんばっているジャーナリスト、弁護士、政治家や報道機関を応援したいと思う。

第18回 粥川すず著『エリートは學び足りない』(モーニングKC)

マンガ、粥川すず著『エリートは學び足りない』(モーニングKC)を読んだ。

舞台は大正時代の旧制高校である。
野生児の大石君は親友が欲しかった。そして、新入生入寮の日に、文芸新人賞を受賞してすでに有名だった梅原君を親友と決め、「親友になってくれ」と猪突猛進で攻めまくる。
『エリートは學び足りない』は、この二人を軸に物語は進む「旧制高校友情コメディー」である。

旧制高校は、明治から昭和前期に日本にあった高等教育機関である。
現在の高校と違って、「四年制大学の教養部」といった位置づけであった。
入学枠は非常に少ない。全寮制の男子のみの超エリート教育機関だ。
旧制高校はどんどん増えていって、一番多い時で約40校存在した。
そのなかでも「ナンバースクール」という第一高等学校から第八高等学校はさらに「狹き門」であった。

時期にもよるが、学科を選ばなければ、旧制高校の卒業生は帝国大学(東京、京都、東北、九州、北海道、京城、台北、大阪、名古屋)に入学できたそうである。
戦後、日本の植民地であった京城(現在の韓国のソウル)、台北(台湾)は廃止され、残りの7校が新制大学、いわゆる受験界での「旧帝」になった。
旧制高校に入学することは、現在の難関大学に入学するよりもはるかに難しかったと思う。

学帽にマント、下駄に手拭い、バンカラな学生たちが、寮生活の中で、酒を飲み、煙草を吸い、文学書や哲学書を読み、人生を語る、旧制高校にはそんなイメージがある。

昔々、文学部史学科の学生だった私は、「明治期の師範学校」をテーマにして卒業論文を書いた。その流れで旧制高校についても調べてみた。
そんなわけで、このマンガはとても興味深く読むことができた。

第2巻の発売は今年の12月頃だそうだ。
今からとても楽しみである。