第17回 大きな決断

30年以上購読していた新聞を辞めることにした。

大好きな新聞だった。
しかし、ここ数年、内容がどんどんひどくなっていた。
権力に対する批判精神がなくなり、「どうしちゃったの?」と思うことが多くなっていたのだ。
それでも、大学生の頃から読み続けてきたこともあり、愛着もあったので購読を辞めるという決断はできなかった。

しかし、今、多くの国民が関心を持っているはずの「自民党議員と統一教会との関係」について、ちゃんと報道しないのである。
いつになったら報道するのかと思っていたが、残念ながら、まともに切り込み、記事にするつもりはないらしい。

報道に関して、何年も前から「新聞やテレビが駄目になった」と言われていた。
そして、今回のことで本当にそう思った。
週刊誌やネットテレビ、一部の地方紙などはがんばっている。
しかし、全国紙や地上波テレビは本当に駄目になってしまったと思った。

残念ながら、全国紙と地上波テレビだけを見ていたのでは社会の真実は見えてこないだろう。
今の時代、ネットがあって本当に良かったと思う。

マスメディアは権力にすり寄ってはいけない。
権力に対して、常に批判精神を持って、緊張感を持って接していなければいけないと思う。
残念ながら、この新聞にはそれがなくなってしまった。
もちろん、社内にはがんばっている記者さんもたくさんいると思う。
しかし、それが記事に反映されていないのだ。
組織の問題なのだと思う。
文化面や連載などは大好きで、毎回とても楽しみにしていたのだけれど。
それが読めなくなってしまうのは本当に淋しい。

「おかしい」と思いつつ購読を続けるのは、信用できない政治家に投票するようなものである。
だから、本当に残念なのだが購読を辞めることにした。
来月からは、がんばっている新聞を購読することにした。

私にとっては非常に大きな決断である。

第16回 忘れられない投手

7月8日に、第104回全国高校野球選手権栃木大会が始まる。
今年もどんな熱戦が繰り広げられるのか、とても楽しみである。

現在、当塾の卒業生たちも3校の高校の野球部に所属している。3年生にとっては最後の大会になる。彼らには悔いのない大会にして欲しいと思う。

栃木大会でも毎年たくさんのヒーローが生まれる。
そして、時間を経っても忘れられない選手がいる。
その中の一人が、2013年、第95回大会の青藍泰斗の澤田大季(ひろき)投手である。

東京出身の澤田投手は、この大会、たったひとりで6試合を投げ抜いた。
投球数は680球だった。
テレビで見ていて、「こんなに投げさせたら壊れてしまうぞ」と心配になったくらいだ。

作新学院との決勝戦、澤田投手は9回2アウトまできた。
あと1つのアウトを取れば甲子園出場が決まる。
しかし、あと1人ということで力尽きてしまった。


ピンチになっても辛い表情を見せず、それどころか苦笑いを見せつつ淡々投げていた。
そんな澤田投手が忘れられない。
試合が終わっても、やりきったという表情がすがすがしかった。

当時、そんな澤田投手を私は短歌にしてみた。
以下がその短歌である。

ピンチでも表情変へず淡々と得意のボールを投げ込む澤田

東京を離れ栃木の高校に来て野球部のエースとなりぬ

六試合をたつた一人で投げてゐる君の顔には疲れが見える

恐らくは気力で投げてゐるのだらう決勝戦のマウンドの君

九回二死走者なしから死球出しエース澤田の調子が狂ふ

六試合六八〇球投げて澤田大季(ひろき)の夏が終はりぬ

名門の作新相手にエース澤田が(せい)(らん)泰斗(たいと)の意地を見せたり

「短歌人 平成二十五年 十月号  第856号」より

高校卒業後、澤田投手は白鷗大に進学した。
そして、投球ホームをアンダースローに変えたということをネットで知った。

さあ、今年はどんな熱戦が繰り広げられるのか。
高校球児のみなさん、がんばってください!
エアコンの効いた涼しい部屋から応援しています!

第15回 山川選手、栗山選手、おめでとうございます!

6月26日の楽天戦(楽天生命パーク)で、埼玉西武ライオンズの山川穂高選手が通算200号本塁打を達成した。
日本人選手最速の697試合目での200号本塁打達成。新記録だそうである。
勢いづいた山川選手は、同じ試合で201号のホームランも打つ。
このニュースは翌日の一般紙(毎日新聞)にも大きく取り上げられていた。

山川選手、200号本塁打達成、おめでとうございます!
山川選手のホームランはベルーナドームで何度も見ていますが、また現地で勢いのあるホームランを見たいと思います。
これからますます暑くなってきます。
「灼熱地獄」「水のないサウナ」などと言われ評判の悪いベルーナドームですが、暑さに負けずにがんばって下さい。応援しています!

6月28日の日ハム戦(ベルーナドーム)で、埼玉西武ライオンズの栗山巧選手が史上12人目となる「同一球場での通算1000安打」を達成した。
しかも記念の1000本目はライトスタンドに打ち込むホームランだった。
栗山選手は昨年に2000安打を達成していたライオンズのレジェンドである。
ヒーローインタビューで栗山選手は次のように語った。目に涙を浮かべていたようにも見えた。

「この球場ができていろんなことがあったと思うんですけど、それでもゲームがある日は当たり前のように僕らはゲームができますし、この環境を整えてくれている球場スタッフ、みなさんに感謝しています。これからも1本でも多くこのベルーナドームでヒットが打てるように頑張ります」

「夏は蒸し暑く、春先と秋口は寒すぎる」と言われ、「12球団で1番環境が悪い」とバカにされるベルーナドームを、こんなふうに言ってくれる栗山選手は、人としても本当にすばらしいのである。

ライオンズ一筋、いつもライオンズ愛を語ってくれる栗山選手、本当におめでとうございます!
チャンスに強く、美しいホームで安打を量産する栗山選手が大好きです。
これからもライオンズの柱として若い選手を引っ張っていって下さい。応援しています!

開幕から選手のケガやコロナ感染などで調子が悪かったライオンズ。
5位に低迷していた時期もあったが、少しずつ選手が戻ってきて戦力が整ってきた。
そして、なんと昨日で5連勝。
1位のソフトバンクとの差は2.5ゲーム差まで縮まった。

選手のみなさん、まだまだシーズンは長いですが、暑さに負けずにがんばって下さい!

第14回 残念!

メジャーリーグ、パドレス傘下3A・エルパソを自由契約となっていた秋山翔吾選手(外野手)がNPBの広島に入団することが決まった。

日本球界に戻ってくると決まったとき、古巣の埼玉西武ライオンズに復帰すると思っていたし、そうなることを願っていた。多くの西武ファンも同じ思いだったと思う。
ソフトバンクと広島が獲得に乗り出したときも、「広島入団はないだろう」というのが大方の予想だった。
しかし、蓋を開けてみれば「広島入団決定」であった。

西武を含めた3球団と交渉し、あとは秋山選手本人の決断を待つだけとなってから、私は大きな期待と少しの不安を抱えながら過ごしていた。それでも、ファンを大切にする秋山選手のことだから、古巣のライオンズを選んでくれるだろうと思っていた。
また背番号55のレプリカユニフォームを着て応援に行ける、球場で秋山選手の登場曲「人にやさしく」を聞ける、応援歌を聞ける(そのうち、また歌える)、と思っていただけにショックは大きかった。

実は、秋山選手のライオンズ復帰が決まったら、「おかえりなさい、秋山翔吾選手!」というタイトルでブログを書こうと思っていたのだが、その計画は潰えてしまった。

もちろん、秋山選手の野球人生だ。ファンがとやかく言うことはできない。自分の選択した場所で大いにがんばってもらいたい。
でも、ファンとしては本当に残念、がっかりである。

こうなってくると、「生涯ライオンズ」を宣言してくれた栗山巧選手や中村剛也選手は、ファンとしては本当にありがたい存在である。
また、国内FA権を行使した上でライオンズに残留してくれた増田達至投手、十亀剣投手、岡田雅利捕手、国内FA権を取得予定であったところを4年の長期契約をしてライオンズに残ってくれた金子侑司選手などにも感謝である。

当塾の卒業生で現高3生のRくんもライオンズファンだが、彼は今回のことをどう感じているのだろうか? いろいろと話して傷をなめ合いたいところである。
R君、連絡を求む!

落ち込むのは今日だけにしよう。
秋山選手がいなくても、ライオンズは若手の外野手が育ってきている。
明日から気持ちを新たに、またライオンズを応援しよう。

アアア ライオンズ
ライオンズ ライオンズ
ミラクル元年 奇跡を呼んで
獅子よ吠えろよ 限りなく
ライオンズ
ウォウォウォ ライオンズ
ウォウォウォ ライオンズ
ライオンズ

第13回 大きな宿題

以下はご本人の承諾を得た上で書く。

今年の5月某日。
Bさんからお手紙をいただいた。
Bさんとは約16年のおつき合いになる。

2006年の8月に、「八月の会」主催で、Bさんの朝鮮半島からの引き揚げ体験を真岡でお聞きする機会があった。私は当時小学2年生だった長男と一緒に参加したのだが、それ以来、年賀状や手紙の遣り取りが続いている。

「八月の会」の第一回目のイベントだった。
ネットで調べたところ、「八月の会」は今も続いているようで、現在は真岡市教育委員会共催、下野新聞社・真岡新聞社後援となっていた。

2006年当時、Bさんは73歳だったそうだが、とても若々しく、可愛らしい女性だと思った。

終戦を朝鮮半島で迎えたBさんは当時13歳だった。
ソ連は日ソ中立条約を破棄し、朝鮮半島に進攻した。
Bさんの母親は、13歳だったBさんの顔に墨を塗り、頭を丸め、女の子とわからないようにしたそうだ。ソ連の攻撃を受けながら、両親と叔父一家と逃げていた。その途中で天涯孤独となってしまった。
長崎出身のBさんは、縁あって真岡のBさん夫婦の養女になり、真岡の地で長年美容室を経営されていた。
現在は、Bさんのお弟子さんがこの美容室を引き継がれている。

2006年の夏、それまで語ったことのなかった辛い引き揚げ体験を、涙ながらに話して下さったBさんの姿は今でも忘れられない。

今年5月に頂いた手紙の中に、引き揚げ者の体験談などの書籍や資料などを私に受け取ってほしいと書いてあった。
予定を合わせて、真岡の喫茶店でお会いした。
Bさんは、お弟子さんの運転する車でお見えになった。
約16年ぶりの再会だった。

Bさんは89歳になったと言われていたが、とてもお元気そうに見えた。
約1時間、3人でいろいろなことを話した。
別れ際に、段ボール箱2箱分の書籍や資料、朝鮮半島の手作りの地図などを受け取った。

果たして、私のような者がこのような貴重な資料を受け取ってよいものかどうか、正直戸惑っている。
しかし、Bさんから託されたのだから、これらの資料を少しずつ読み進め、戦争体験を次の世代に伝えていかなければと思った。

Bさんは七夕の日に日本に戻って来られたと話していた。
今年の七夕は、もうすぐだ。

第12回 五木寛之著『捨てない生きかた』を読む

五木寛之著『捨てない生きかた』(マガジンハウス新書)を読む。

「断捨離」とか「終活」と言われる時代である。そんな時代に、五木氏はあえて「捨てない生きかた」を提案する。

氏は、身の回りの愛着ある「ガラクタ」こそ「人生の宝物」であると言う。
このようなガラクタは依代(よりしろ)であり、生活にそれらの物があることにより、これまでの自分の人生の様々なことを思い出し、生きる元気が出てくると言う。
「人生百年時代は、モノを依代に生きる」ということらしい。
ただし、すべての人が自分のようにすべきだというのではなく、こんな生き方があってもいいのではないかと提案しているのだ。

私も、五木氏の意見に一票である。
そして、この本を読んで、ずいぶん前にラジオで耳にした以下のエピソードを思い出した。

ある高齢の女性が、引っ越しを機に「終活」しようと思い立ち、さまざまな物を処分しようと片付けを始めた。とりあえず処分すべき物を段ボール箱に詰め込んだ。
そして、新しい家に住み始めたところ、急に元気がなくなってしまった。
息子さん夫婦が心配し、いろいろと考えた末に、段ボール箱から本や物を取り出し、その女性の部屋に並べたり置いたりした。
すると、それまで気分が沈みがちだった女性は、みるみる元気になり、以前のように戻ったそうなのである。

「捨てない生きかた」もなかなかいいものだ。
ただし、何でもかんでも捨てずにとっておくと、ゴミ屋敷になってしまう。
残しておくべきものと処分すべきものの取捨選択が難しいところである。

第11回 多くの人に「香害」について知ってほしい

6月5日の毎日新聞に、ある意見広告が載った。朝日新聞にも同じものが掲載されたらしい。
私が日頃使用している石鹸の会社「シャボン玉石けん」が打ったものだ。
以下、全文を掲載する。

日本に新しい公害が生まれています。その名は「香害(こうがい)
柔軟剤や、洗剤の人工的で過剰な香りに苦しんでいる人が増えています。
香りに含まれる化学物質が、めまいや吐き気、思考力の低下を引き起こす化学物質過敏症の原因の一つになるのです。
中には、友人や同僚の服についた香りにより、学校や職場にいけなくなるといった、深刻な問題を訴える人もいます。
当社が行ったインターネット調査において、「人工的な香りをかいで、頭痛・めまい・吐き気などの体調不良を起こしたことがある」
と答えた人がなんと5割を超えていました。
もはや、社会問題といってもいい割合ではないでしょうか。
また、人工的な香料をさらに長続きさせることを目的とし、マイクロカプセルが使われていることがあります。
プラスチックのマイクロカプセルは、人だけでなく、環境への影響も疑問視されています。
誰かの健康を奪っているかもしれない、過剰な香料や添加物、不自然に長続きする香りを、生活者は本当にのぞんでいるのでしょうか。
シャボン玉石けんは、世の中に問いたい。


(下線引用者)

2022年6月5日 毎日新聞

私は、2001年の春に化学物質過敏症になった。
化学物質過敏症患者のベテランである。
あれから21年も経つのかと思うと感慨深いものがある。
今ではいろいろと気をつけながら普通に生活できている。けれど、発症してからの5年間は生きた心地がしなかった。毎日が地獄だった。
当時は「化学物質過敏症」という病気もあまり知られていなかったため、不快な思いも数え切れないほどした。
ある医者には「頭がおかしいとしか思えない。違う病気を疑った方がいい」と言われた。
その他、腹の立つこともたくさんあった。それはいちいち書くことはしないけれど。

あれから21年、さすがに今では「化学物質過敏症」という病気も知られるようになった。
しかしテレビをつけると、化学物質過敏症の私にとっては「毒」となる商品のCMが、相変わらず頻繁に流れてくる。
そして、多くの人がそれらを良いものとして購入し、使用している。
普通の人が、これらの商品の問題点を知る機会はほとんどない。「日常的に使っていたら、みんな病気になってしまうよなあ」といつも思う。

この意見広告には、「香害・化学物質過敏症」啓発講演会のお知らせも載っていた。
7月16日(土)に、リアルとオンラインライブ配信のハイブリッド式で実施するそうだ。
第2部の専門家講演の講師は、なんと以前の私の主治医だった坂部貢先生だった!

私は化学物質過敏症を発症して約5年間、北里研究所病院に通い、坂部先生に検査と生活指導をしていただいていたのだ。坂部先生には大変お世話になった。
意見広告によると、坂部先生の現在の所属は「千葉大学予防医学センター特任教授/ 日本臨床環境医学会理事長」だそうである。

「香害」について、是非、多くの人に知ってほしい。
それが自分と家族の健康を守ることになると思うからだ。

第10回 井頭公園のローズフェスタ

園芸好きな妻と二人で井頭公園のローズフェスタに行ってきた。
今年初めての猛暑日だったが、バラ園はたくさんの人で賑わっていた。
ネットで調べたところ、ここのバラ園には、約290種、2100本の薔薇があるそうだ。

一口に薔薇といっても非常にたくさんの種類がある。
「ベルサイユのばら」とか「ジョンFケネディ」、「イングリッドバーグマン」などという品種もあって興味深かった。

約1時間半、ゆっくりと薔薇を見て回った。
とてもよい時間を過ごせたと思う。薔薇に詳しくない私も楽しめた。

「薔薇」や「噴水」で句を作ろうと思ったが良いものができなかったので、歳時記から薔薇の俳句を二句。

薔薇(そうび)園一夫多妻の場をおもふ 飯田蛇笏

匂いなくケネディという白き薔薇 広瀬敦子

車を運転して自宅へ帰る途中、FMラジオ(NACK5)を聞いていた。日曜日のこの時間はNACK5の「サンデーライオンズ」と決まっている(もちろん、授業や面談がある日は別)。

今日のライオンズの対戦相手はセ・リーグのベイスターズ(セ・パ交流戦)。
2対2で迎えた9回裏、西武の攻撃は代打の栗山巧選手から。
今年21年目のベテラン栗山選手は、0-2と追い込まれてから平田真吾投手の投げた3球目をライトスタンドへ放り込む。
なんと、サヨナラホームランだった。
球場の歓声、興奮がラジオを通しても伝わってきた。

今日はいい一日になった。
家に帰ったら、一休みして、はりきって仕事をしようと思った。

第9回 信長は本当に「であるか」と言っていたのか? (その2)

前回のブログで、私は次のように書いた。

ところで、信長は本当に「であるか」と言っていたのだろうか?
ドラマの中の信長は「であるか」を連発しているのだが。
非常に気になるところである。

気になったので、学生時代からの親友Oにメールで質問してみた。
Oは織田信長が大好きで、信長については非常に深い知識を持っているのだ。
質問してから数日後に回答があった。それを簡単に紹介したい。

信長の家臣である太田牛一の著書「信長公記」の中に以下のようなことが書かれているそうである。

信長が、義父である斎藤道三と会見したときのこと。
遅れてきた道三を道三の家臣が、信長に次のように紹介した。
「この方が斎藤山城守である」と。そのとき信長は「であるか」と言った。

Oの記憶では、信長が「であるか」と言ったのはこのときだけだそうだ。

ということは、信長は「であるか」と言ったことがあり、まったくの作り事ではないということになる。
そして、小説家や脚本家の誰かが「信長公記」でこのエピソードを見つけて、それを作品に取り上げ、信長に「であるか」と言わせた。そして、それが普及し、「信長といえば『であるか』」ということになったのかもしれない。
「であるか」と言う信長は、エラそうで、私たちがイメージする信長にぴったりだ。

信長の「であるか」について何かご存じの方は、是非ご連絡下さい。

第8回  信長は本当に「であるか」と言っていたのか?

暑い日が続いている。
こうなってくると、仕事に行く前にシャワーを浴びることが多くなる。
シャワーを浴びながら、ふと、ある一句を思い出した。

全身にシャワー信長忌であるか

何方の句かは忘れしまった。俳壇の芥川賞と言われている「角川俳句賞」受賞作50句の中の一句だということは記憶している。
そして、私にとっては忘れられない一句となった。

もちろん、信長とは織田信長のこと。そして「信長忌」は6月2日で夏の季語である。
多くの人にとって、「信長忌」だけではいつの季節なのか分からないと思う。しかし、「全身にシャワー」とあるので夏の季語であろうということは想像できるのではないか。

ところで、信長は本当に「であるか」と言っていたのだろうか?
ドラマの中の信長は「であるか」を連発しているのだが。
非常に気になるところである。