第77回 年賀状じまい

1月半ばになって年賀状のことを書くのも無粋なのだけれど、年賀状の話を。

何年も前から年末になると新聞やネット上で「年賀状じまい」が話題になる。

「高齢により年賀状を書くのが負担になった」「年末の忙しい時期に年賀状を書くのは苦痛」「メールやLINEでつながっているから年賀状は不要」などの理由から、年賀状を書くのを辞める人が増えているようだ。

今年、ついに私のところにも「年賀状じまい」の年賀状が届いた。
大学の先輩からである。

実は、我が家は喪中なのだが、何かの手違いで送ってしまったのか、または「年賀状じまい」を決めたから送ったのか、そのへんの事情は分からない。
先輩の年賀状には、今年で年始の挨拶をやめるということ、今後は電話やメールなどで連絡するということなどが書かれていた。

実際に「年賀状じまい」を受け取ると、ちょっとさびしい気がするものだ。

確かに、年末の慌ただしい中、年賀状を書くというのはなかなか大変なものである。
今はLINEやメールで、いつでも連絡がとれる。
さらに、今年の秋には、手紙もハガキも3割を超える値上げとなるようだ。

現在、手紙(25g以内)84円が110円に、ハガキ63円が85円になるという。
今回の郵便料金の値上げで、年賀状離れはさらに加速するだろう。

さて、私はどうするか?

今のところ、「年賀状じまい」をするつもりはない。
つき合いは「年賀状だけ」という友人や知人も多いが、年に一度だけのつき合いも「また楽しからずや」である。

あれこれと添へ書き悩み年賀状

澤田初夫

第76回 奈倉有里・逢坂冬馬著『文学キョーダイ!!』

奈倉有里・逢坂冬馬著『文学キョーダイ!!』(文藝春秋)を読む。

奈倉有里さんと逢坂冬馬さんは姉弟だ。
姉の奈倉さんはロシア文学の翻訳者、弟の逢坂さんは小説家。
私はこのお二人を知らなかったが、作家姉弟の対談が面白そうだったので読んでみた。

歴史学者の父を持つお二人は、本に囲まれた家庭で育つ。
好きなことを自由にやらせるという家庭の方針のもと、奈倉さんも逢坂さんも結果的に「自分の好な道」へ進む。

子ども時代の話、学生時代の話、いかにして文学の道に進んだのかなどの対談。
それぞれの文学に対する考え方、文学との関わり方など、たいへん興味深かった。

そして、奈倉さんも逢坂さんも、社会や社会問題に対して、歴史に対して、政治に対して、しっかりとした考えを持っている点に好感が持てた。

メディアのあり方、ファシズムの危険性、どのように社会がおかしくなっていってしまうのかなどを話している部分が特に印象に残った。
以下は逢坂さんの発言部分(P221)。

「パンとサーカス」という古代ローマの言葉がありますよね。政治的関心を失った民衆には食糧と娯楽さえ与えておけば、支配はたやすいという。いまの日本は国民にパンを与えないけど、サーカスは民営化されているからテレビで見てよという感じ。いまはなんとかかんとか言論の自由を手に入れられているんだけれども、ひょっとしたら放送法をめぐる解釈の変更と国民の無関心によって失われていく過程にあるかもしれない。最悪の事態が進行することを恐れていますね。

この部分はまったく同感。
国民の多くがWBCや大谷翔平選手の活躍ばかりに気を取られている裏で、国民の主権を奪うようなことが次々と決まってしまっているのだから。
国民が政治に興味を持たず、メディアがちゃんと機能しなくなれば、自分たちの首を絞めるような社会になってしまうのだ。
そうなってしまえば、スポーツ観戦も「推し活」もできない世の中になってしまう。
実際、今の日本はそうなりつつあると感じている。

いろいろと考えさせられる本だった。

第75回 真岡北陵高再編 介護福祉科存続へ

今日の下野新聞に「真岡北陵高再編 介護福祉科存続へという記事があった。

昨年7月、県教委は第3期県立高校再編計画案を発表した。
真岡工業高と真岡北陵高を統合し、真岡工業高の校地を使用するという案だった。
この計画を知った時、かなり驚いた。
私は真岡高と真岡女子高が統合されるのではないかと思っていたからだ。

7月発表の時点では、真岡工業高と真岡北陵高が統合され、その際に、真岡北陵高にある介護福祉科を廃止、かわりに益子芳星高に福祉コースを導入するというものだった。
この案に対して、地元真岡市や医師会が反対し、存続を求める要望書や署名が相次いでいたという。

福祉コースは介護福祉科と比べて、介護福祉士の資格を取得するまでに年数が長くなってしまい、そうなると介護の現場で大きな問題となってしまうからだ。
芳賀郡市医師会は1万1千人分以上の署名を集め、県教育長に提出したそうだ。

真岡北陵高の介護福祉科の現在の定員は30人、それが20人と減らされるものの、統合される新しい高校に存続されることになった。本当に良かったと思う。

私自身、父のことで介護福祉士さんたちにはたいへんお世話になり、とても感謝している。
当初の計画通り、真岡北陵高の介護福祉科が廃止となってしまったら、現在でも十分ではない介護福祉士の数がさらに不足して、介護の現場はたいへんなことになっていただろう。

今回、市民が声を挙げて行動すれば政策が変わるということが証明された。
これは市民の政治参加である。

市民の切実な思いを受け入れ、当初の計画を見直してくれた県教委に感謝したい。
国も、国民の声に対して謙虚に耳を傾けてくれれば、「聞く耳」を持ってくれればと思った。

第74回 多井学著『大学教授こそこそ日記』

2024年の最初に読了した本は、多井学著『大学教授こそこそ日記』(三五館シンシャ)である。

この本は「汗と涙のドキュメント日記シリーズ」の1冊で、それぞれの業界で働く仕事人が、リアルな実態を包み隠さず書くという、とても興味深い本だ。
もちろん、みんなペンネームを使用している。

多井学さん(仮名)は1961年生まれ。
日米の大学を卒業後、カナダの大学院で修士号を取得。
大手銀行を経て、短大の専任講師、某国立大を経て、現在、関西私大のKG大(関西学院大学)に勤務している現役教授である。

研究者になるまでの苦労(大学の専任教員になるのはギャンブルに近い)、弱小オーナー短大の労働条件の悪さ、大学内部の問題など、ユーモアと自虐ネタを込めてリアルに紹介してくれている。
興味深い内容で一気に読んだ。

しかし、ラストは本当に悲しく、しみじみとした内容で、生きる悲しみのようなものがひしひしと伝わってきた。

三五館シンシャの「汗と涙のドキュメント日記シリーズ」の魅力。
それは、社会人は、失敗も成功もあるが、それぞれの分野で、喜びや悲しみを味わいながら、一生懸命に働き、精一杯生きているということが伝わってくるところだ。

是非、若い人たちにも読んで欲しいシリーズなのである。

第73回 元日から大変なことに

2024年は元日から大変なことが起こってしまった。
能登半島地震である。

お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された皆様に対して、心よりお見舞い申し上げます。
皆様の安全と、一日もはやい復興をお祈り申し上げます。

地震が起こるたびに、いつも原発が心配になる。
こんなことを心配するのは本当に嫌なものだ。

最新のニュースによると、石川県志賀町にある志賀原子力発電所は、外部から電気を受け取る系統が現在も使えない状況が続いているようだ。

約1か月前、経団連の十倉雅和会長が稼働停止中の北陸電力の志賀原発を視察し、「一刻も早く再稼働すべきだ」とコメントした。
もし、十倉会長が言うように原発を再稼働していたらと思うとゾッとする。

日本は東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故を経験している。
原発事故が起こってしまったら、その後どれほど大変かということは分かっているはずなのだ。
それなのに、国は原発を再稼働し、積極的に原発を活用しようとしている。
これは大きな間違いだ。

福島第一原発事故の処理はまったく進んでいないのである。
そもそも地震大国日本に原発が50基以上あるというのは異常なことなのだ。

原発は人間には制御できないものである。
国と電力会社は、もう一度福島第一原発事故を思い出し、原発廃止の政策を進めて欲しいと思う。

 当ブログの読者の皆様。
2024年もよろしくお願い申し上げます。

第72回 2023年の3冊

今日は大晦日、そして私の◯◯回目の誕生日。
私は埼玉西武ライオンズのファンクラブに入っているので、球団からお祝いのメールが届いた。
さらに、外崎修汰選手のお祝いのメッセージをいただいた(動画)。
動画を繰り返し再生して喜んでいたら、妻が「なんかむかつく!」と呆れていた。

さて、今回は今年最後のブログとなります。
最後のテーマは「2023年の3冊」です。

2023年もたくさんの本や漫画を読んだが、私にとってのベスト3は以下の通り。

  1. 島田雅彦著『パンとサーカス』(講談社) ※ブログ第41回
  2. 門井慶喜著『文豪、社長になる』(文藝春秋)
  3. 宮島未奈著『成瀬は天下を取りにいく』(新潮社) ※ブログ48回

1と3の本についてはすでに当ブログで書いたので、興味のある方はそちらをお読み下さい。

門井慶喜さんの『文豪、社長になる』について
これは作家で文藝春秋を創刊し、芥川賞と直木賞を始めた菊池寛が主人公の歴史小説。
菊池寛という人物は、とにかくエネルギッシュで、次々と困難が生じるが、それを持ち前の行動力で解決してゆく。
菊池寛という人物同様、門井さんの小説もおもしろくて、読み始めると最後まで止まらなかった。
なお、菊池寛の小説でとくにおもしろいと思った作品は『無名作家の日記』だ。
これはオススメです。

◆補足1
島田雅彦著『パンとサーカス』のブログを書いた時点では、今の政治の状況はまったく想像がつかなかった。
現在、自民党議員による裏金問題が表沙汰になり、東京地検特捜部に安倍派幹部が次々と任意徴収されている。
悪いことをした政治家は罰せられ、日本の政治が正しい方向に進むことを願うばかりだ。
世の中は勧善懲悪であって欲しい。
とくに、国民の生活に直結する政治については。
そして、国民の生活を第一に考えてくれる政治家に政治を託したい。
そのためには、国民一人ひとりが「政治を自分のもの」として考えることが大切なのだ。

◆補足2
宮島未奈著『成瀬は天下を取りにいく』について
2024年の1月24日に、続編『成瀬は信じた道をいく』が発売されるそうだ。
この情報を知っただけで、私はわくわくしている。
それほどすばらしい作品なのだ。

2023年間もお世話になりました。
2024年も、ほそぼそとブログを書いてゆきます。
引き続き「塾長の気まぐれ日記」をご愛顧下さい。

みなさま、良いお年をお迎え下さい!

第71回 ディケンズの「クリスマス・キャロル」を読む

毎年、クリスマスが近づくと読む本がある。
19世紀のイギリスの作家であるチャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」だ。

私は「クリスマス・キャロル」を3冊持っている。
村岡花子訳の新潮文庫版、中川敏訳の集英社文庫版、そして足沢良子訳の小学館「てんとう虫ブックス」版だ。

「てんとう虫ブックス」版は子供向けなのでとても読みやすい。
今年はこれを、12月24日から25日にかけて読んだ。

けちん坊でひねくれ者のスクルージの前に、会計事務所の共同経営者だったマーレイ(亡霊)が現れる。
その後、マーレイの言った通り、三人の幽霊がスクルージの前に現れ、彼を過去、現在、未来へと連れてゆく。
自分の過去、現在、未来を見たスクルージは悔い改めて……。

「クリスマス・キャロル」は、読めば幸せな気分になれる物語だ。

当時、大英帝国として世界で最も栄えたイギリスは、その一方で酷い貧困もあったのだ。
そのような視点でこの物語を読んでみると、また違った感想を持つことになる。

それはさておき、年末に「クリスマス・キャロル」を読んで、「幸せ」について考えてみるのも良いかと思う。

第70回 「文晁と北斎」展

栃木県立美術館で開催中の「文晁と北斎」展が明後日の24日に閉幕する。

10月28日、私はこの展覧会に行ってきた。
もちろん、すばらしい絵を画集で見るのも良いけれど、やはり本物は違う。
ガラス越しとはいえ、圧倒的な力を感じ、エネルギーをもらえるのだ。
開催中、あと1回くらい行こうと思っていたが、都合がつかず、どうやら行かないで終わりそうである。
それでも、谷文晁と葛飾北斎の肉筆画や版画を生で見ることができたことは今年の収穫だった。
北斎は版画が有名だが、肉筆画もとても良かった。

10月20日に父が急逝し、24日に葬儀・告別式を行うことになった。
いろいろなことを短期間で決めなければならず、また、葬儀が終わってもすべきことが次々と出てきて、かなり大変だった。
心身ともに疲れ切っていた時期に、半日だけでも浮世のあれやこれやを忘れて文晁と北斎の作品に没頭できた。本当に救われた気がした。

「文晁と北斎」展に再度足を運ぶことはできないが、購入した図録を見て楽しみ、行った気になろうと思う。

第69回 山田太一著『空也上人がいた』

山田太一著『空也上人がいた』(朝日新聞出版)を読んだ。

主人公は、つい最近まで特養老人ホームで働いていた27歳の青年。
本人が大きなミスをしてしまい、自ら仕事を辞めてしまう。
そんな時、元同僚で40代半ばのケア・マネジャーの女性に新しい仕事を紹介される。
紹介されたのは、81歳の男性の個人介護。

読み始めると、ストーリーは興味深く、深い人間観察があり、最後まで一気に読んでしまった。
山田太一さんが描く、登場人物たちの独特の会話もとても心地よかった。
改めて、山田さんは真のストーリーテラーなのだと思った。

「空也上人がいた」というタイトルがすごい。
「空也上人」は、平安時代中期の僧で、京都の六波羅蜜寺にある「木造空也上人立像」が有名である。
高校で日本史を勉強した人なら誰でも思い浮かべることができると思う。
私は2回ほど実物を見たことがある。
粗末な草履を履き、口から6体の小さな阿弥陀仏を吐き出している木造は有名だ。
その「木造空也上人立像」の絵が、本のカバーに描かれている。
そして、この木像が物語の鍵となっているのだ。

山田太一さんがこの小説を書かれたのは2011年、70代後半だ。
しかし、20代の作家が書いたといってもおかしくないくらい若々しい作品なのだ。
驚きの結末に、人間というもの、生きるということ、死ぬということなど、いろいろと考えさせられた。

山田さん脚本のドラマはたくさん見てきたが、小説は数えるほどしか読んでいない。
山田さんの小説も積極的に読んでみようと思った。

第68回 額賀澪著『青春をクビになって』

額賀澪さんの『青春をクビになって』(文藝春秋)を読んだ。

主人公は35歳のポスト・ドクター、専門は国文学(古事記)である。
彼は大学の非常勤講師をしているが、学内事情から任期内にもかかわらず次年度の契約を打ち切られてしまう。
次の職場をどうしようかと途方に暮れていた矢先、専門が同じで10歳年上の先輩が大学の研究室から貴重な文献(古事記)を盗んで失踪してしまう。

かなり以前から、大学の博士課程を出ても安定した職を得られないことが問題になっている。
「高学歴プア」という言葉があるくらいだ。
とくに人文・社会科学系を専門とする研究者が厳しい。
大学教員として正式採用されるのは、ほんの一握り。
多くの人が人生を棒に振ってしまっているのが現状だ。

仕事を失い、研究者の道を諦めるという選択をする主人公。
当然、物語の内容は明るくはない。
しかし、不思議と暗い気持ちにはならないのだ。
自分の「青春」を終わらせる、「青春」に決着をつける主人公。
心地よい読後感だった。

額賀さんの他の作品を読んでみたいと思った。