第47回  野球観戦に最適な季節と天気は?

4月9日(土)に、第76回春季県高校野球大会の1回戦、真岡高校対小山高校の試合(清原球場)を観戦した。
今春当塾を卒業生したH君が1年生ながらベンチ入りして、ブルペンで投手の球を受けていた。
なかなか風格があって、今後がとても楽しみだと思った。
また、応援にいらしていたH君のお母さんにも声をかけていただき、短い時間だったが楽しく会話をさせていただいた。

試合は、残念ながら1-6で負けてしまったが、真岡高校の選手たちには、課題を見つけて、夏の大会に向けてがんばって欲しいと思う。
ちなみに、真岡高校の監督であるK先生は、次男の高3時の担任で、たいへんお世話になった。

この日の天気はとても悪かった。
寒くて、雨が降っていて、選手たちも大変だったと思う。
スタンドで応援している野球部員や保護者も雨に濡れて大変だったはずだ。
この日は1回戦ということもあり、観客が少なかったので、私は傘をさして(合羽も着て)観戦していたが、観客が多いと他の観戦者の迷惑になるので傘をさせない。
雨の日の野球観戦は、正直、行くのを躊躇してしまう。
というか、基本、行かない。

野球観戦の最適な季節と天気はどんなものだろうか?
私は、新緑が美しくなる4月中旬から梅雨入り前までの季節と、秋晴れの日、青空のもとで行われるデーゲームが好きだ。
風薫る5月や赤とんぼが飛んでいる秋空のもとでの試合は最高だ。
午後1時か2時開始がいい。
観客はあまり多くない方がいい。
気分によって自由に席を移動できるくらいの余裕が欲しい。
コロナ禍の中で、プロ野球の試合は基本全席指定になってしまったのはとても残念。

野球観戦日和といえば、昔の日本シリーズである。
昭和から平成初期のプロ野球の日本シリーズは、秋空のもとで行われていたのだ。
私は一度だけ、秋空のもとでの日本シリーズを観戦したことがある。
1990(平成2)年の西武対巨人(西武球場)を友人のOとMと私の3人で観戦した。
チケットはOとMが、試合前日に徹夜して並んでとってくれた(ありがとね!)。
何戦目を観戦したのかは忘れてしまったが、この年の日本シリーズは西武が4勝して圧倒的な強さを見せたシリーズだった。
あの頃の西武球場(現、ベルーナドーム)には屋根はついていなかった。
今のベルーナドームよりもずっと広く感じたものだ。

現在、日本シリーズは営業面を考えてすべてナイトゲームになってしまった。
10月下旬や11月のはじめに、寒い中で屋外で行われるナイトゲームは最悪だと思う。 さて、今年は理想のコンディションで何試合観戦できるか?
今から楽しみにしている。

第46回  自信作

真岡に行ったついでに、行屋川水辺公園を歩いてきた。
言わずと知れた桜の名所である。

すでに桜のピークは過ぎ、散り始めていて、行屋川の水面にはたくさんの花びらが浮かんで、ゆっくりと流れていた。
この様を「花筏」という。

この様子をスマホで撮影し、川沿いを散策していたら、なかなか良い句が浮かんできた。
するするとできて、「これは傑作だ!」と思った。
「自分で言うな」という突っ込みが入りそうだが、本当に自信作ができたのだ。
傑作というものは、往々にしてすっとできるものなのである。
数年に一回あるかないかのことなのだが。

さっそく、LINEで妻と長男(社会人)と次男(大学生)に写真と俳句を送った。
妻からはすぐに、ギャグマンガ「磯部磯兵衛物語」のスタンプがきた。
磯部磯兵衛が親指を立てて「ぐっ!」とやっているスタンプ。

長男からは夜に、「何これ?」と返信が来たので「俳句」と言ったら、しばらくして「いい俳句だね」と返信がきた。

次男からは深夜に、「芭蕉?」と返信がきたので、「○○○○(私の俳号)」と返しておいた。私は、親指を立てて「ぐっ!」とやった。

ちなみに、妻が私の俳句を褒めることはあまりない。
その妻が褒めたくらい、今回の俳句はなかなかに良いできなのである。
野球でいったら、三塁打くらいかな。

今すぐここで紹介したいのだが、その前に新聞(ブロック紙)に投句してからにしようと思っている。
ここで発表してしまうと、未発表作品ではなくなってしまうので。
(新聞や雑誌、結社誌などに投句できるのは未発表作品のみ)。

というわけで、結果が出たらブログ内で発表します。
もしボツだったら、来年のこの時期に発表したいと思います。

いや、本当に自信作なのですよ。

第45回  新年度第一日目

3月27日(月)に尚朋スクールの新年度が始まった。
3月20日(月)に合格祝賀会を開き、その週は授業はなかったのだが、毎年この期間に新年度の準備、新入生の面談、在籍生の面談(希望者)などを行っている。
そのため、授業がないとはいえ、のんびりはしていられない。
新年度が始まり、塾生に教材やプリントなどを渡し、一週間の授業が終わって、ちょっと安心。
やっと一息できるのはゴールデンウィーク前後である。

今年の新年度初日も大忙しの一日だった。
この日は新中学1年生の数学・理科の授業のみなので私自身は授業はなかったが、いろいろあった一日だった。

授業前に、今春、無事志望校に合格した塾生と保護者様が挨拶にお見えになった。
直前期は心身を削ってがんばった子で、相当なプレッシャーを感じつつ受験勉強に取り組んでいた。
そんな彼女は、努力が実って無事志望校に合格した。本当に良かった。
ご本人もお母様も安心し、とてもうれしそうだった。
素敵なコーヒーカップと桜生八ツ橋、ありがとうございました。

塾の問い合わせが2件あり、うち1件はその日に面談を行うことになった。
当塾では、入塾時の面談をとても大切に考えている。
本人の現在の学力、性格、これまでの学習方法、生活面などをお聞きする。
その上で、当塾の指導方針、指導内容を説明するので、1件につき1時間以上かかる。
即入塾の場合は、さらに学習方法や手続きの話もするので、さらに時間がかかる。
学習塾を選ぶ、選んでいただくということに関しては、何よりもコミュニケーションが大切だと考えている。

当塾の卒業生(第26期生・新高1生)からLINEがあった。
野球部だった子で、小6の秋から入塾し、約3年半、文武両道でがんばった子だ。
彼は特色選抜で真岡高校に進学したのだが、なんと、春の大会でベンチ入りが決まったということだ。
これは本当にすごいこと。本人もとてもうれしそうだった。
もともと真岡高校の初戦は観戦する予定だったから、その旨を伝えておいた。
試合に出るかどうか分からないが、与えられた立場でチームに貢献して欲しい。
現在、当塾の高校球児は新高1生を含めて3校に5人。
今年も、都合がつけば現地に応援に行きたいと思っている。

当塾の卒業生(第23期生)から電話があった。
今春高校を卒業し、上京し4月から大学生になる子だ。
上京前に挨拶に来たいということだったので、急きょ授業終了後に会うことになった。
本人、お母さん、我々講師の4人で、1時間以上、高校時代の話や今後のこと、将来の夢、私の大学時代の話などをした。
彼女は社会問題に興味に持っていて、社会に貢献できるように勉強したいと話していた。
しっかりとした考えを持っていて、本当に立派だと思った。
高校時代は勉強が大変だったようだ。
しかし、挫けそうになったときは、中学時代の「宿題ノート」に書かれた私たち講師のコメント読み返し、自分を奮い立たせてがんばったそうである。
「先生たちのおかげで高校でもがんばれた」と言ってくれたが、「こちらこそ、ありがとう」という気持ちでいっぱいだ。
東京という広い舞台で視野を広げ、存分に活躍して欲しいと思う。
彼女の進学する大学は私の母校なので、「入学式前までに、ちゃんと校歌を覚えておきな」というどうでもよいアドバイスをしておいた。

2023年度の初日は、こんな一日だった。
交感神経が優位に立ちすぎた一日だったが、ありがたい悲鳴である。

塾生のみなさん、保護者のみなさん、新年度もよろしくお願い申し上げます!

第44回 30数年ぶり

先日、30数年ぶりに西武池袋線の大泉学園駅に降り立った。
ここは学生時代に約2年弱住んでいた街である。

今年の2月に、漫画家の松本零士さんがお亡くなりになった。
新聞やネットで松本さんの記事が出ていて、松本さんが50年以上大泉学園に住んでいらっしゃったこと、大泉学園駅北口に「銀河鉄道999」の主人公・星野鉄郎とメーテルのブロンズ像があるということを知った。
是非、いつか行ってみたいと思っていたのだ。

その日、大学生の次男とプロ野球のオープン戦(西武対楽天)に行った帰りに、西武池袋線に乗り、日が暮れつつある大泉学園駅に下車した。

私が住んでいた頃の西武池袋線は高架駅ではなかったので、すっかり変わった駅と街を見てびっくりした。
当時はなかった高層ビルがたくさんあり、私が学生時代だった頃の面影は何も残っていなかった。
星野鉄郎とメーテルのブロンズ像を見たあと、せっかくだから自分が住んでいたアパートに行ってみることにした。
当時通った店など一つもなくなっていた(と思う)が、約3㎞続く桜並木と練馬区立大泉中学校は当時の場所にあったので、なんとか目的地に辿り着くことができた。

最初は自信がなかったが、しばらく周辺をうろうろしていたら少しずつ当時の記憶がよみがえり、「このアパートだ!」と確信した。
当時、1階に大家さん家族が住み、2階に3部屋あり、3人の店子が住んでいた。
表札を見ると、現在は建物の持ち主が変わったことが分かった。
しかも、増築されていて、現在はアパートではなくなっていた。

30数年前の様々なことを思い出した。
駅へ向かうため五分咲きの桜並木を歩いていたら、懐かしく、少し恥ずかしい気持ちになった。

さまざまの事思ひ出す桜かな 芭蕉

第43回 「シン・ウルトラマン」を観る

昨年の5月に公開された、庵野秀明企画・脚本、樋口真嗣監督の「シン・ウルトラマン」をアマゾンプライムビデオで観た。
昨年、学生時代の友人が「おもしろかった」と感想を伝えてくれていたので、いつかは観ようと思っていた。

ネットでの感想は賛否両論あった。
実際に観た私の感想は、エンターテイメント作品としてとても良くできていたと思う。
子供時代に「ウルトラマン」を観ていた人間としては、押さえるところは押さえていたし、細部の新しい解釈にも違和感がなかった。
とてもおもしろかった。

内容は別として、物語終盤の以下のシーンが印象に残った。

禍威獣特設対策室(禍特対)の専従班・非粒子物理学者である滝明久(有岡大貴)が、「もう何でもウルトラマン頼みですね」と、イライラしながら自分たちの力のなさを嘆く。
すると、禍特対の班長である田村君男(西島秀俊)が、「昔から人間、困ったときは神頼みだ。ウルトラマンが今もっとも神様に近い存在だ」と慰めるのだ。

以前、妻が「日本人のダメなところは、何でも自分自身で解決しようとするのではなく、いつか誰かが何とかしてくれるだろうと思っているところ。これは、ウルトラマンの影響があるのではないかと思う。子供の頃からウルトラマンを見て育って、そんなメンタルになっているのではないか」と指摘していたのだ。

もちろん、日本人は昔から、「蒙古襲来時に神風が吹いた。だからいざとなったら神風が吹く」とか、江戸時代の庶民には「お上意識」が身についていたりしたので、妻の指摘が100%正しいとは思わない。
ただ、少しはそんなところもあるのかなと思ったわけである。

それはさておき、「シン・ウルトラマン」はなかなかおもしろい作品でした。
ウルトラマン好きの方は是非ご覧下さい。

第42回 卒業、おめでとうございます!

今日は中学校の卒業式。
暑いくらいの陽気で、満開だった梅がこぼれている。

T君のお母さんが、卒業式を終えたばかりの写真をLINEで送って下さった。
「チーム尚朋男子部」という写真。
マスクを外した塾生たちの面々が、卒業証書を持って並んでいる。
3年間、マスク姿の彼らしか見ていなかったから、ずいぶん大人っぽくなっていてびっくりした。
笑顔がまぶしい。

第26期生のみなさん、卒業、おめでとうございます!
合格祝賀会でお会いしましょう。

卒業の兄と来てゐる堤かな 芝不器男

第41回  島田雅彦著『パンとサーカス』(講談社)

島田雅彦著『パンとサーカス』(講談社)は、ハードカバーで557ページの大著だ。
2020年7月31日から2021年8月29日に、北海道新聞、東京新聞、中日新聞、西日本新聞に連載されたものを、加筆、修正した上で2022年3月に出版された。
この本を、飽きることなく一気に読んだ。

帯の裏側には以下の4氏による推薦文が書かれている。

前川喜平氏(元文部・文科官僚)
日米同盟という名の永続占領から自由日本を解放する革命戦士たちの叙事詩

鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
スケールの大きな謀略小説であり、極辛の政治風刺劇であり、極太のエンターテイメントである

立川談四楼(落語家、作家)
私たちが夢想する革命に立ち上がる主人公に快哉を叫んだ!

永江朗(著述家)
パンとサーカスさえ与えておけば国民はおとなしくしているなんて思っているヤツらに一泡吹かせたい

腐りきった日本の政治、そんな政治を終わらせるべく、二人の主人公が立ち上がり、彼らを支える仲間たちが立ち上がる。
読み進めていくと、この政治家のモデルは元首相のあの人物だなとか、この元右翼で大物のィクサーはあの人物だなとか、なんとなく分かってくる。
その点もおもしろかった。
政治の裏側、日米関係の裏側なども書かれていて、エンターテイメントでありながら、政治の勉強にもなる。

この小説のすごいところは、安倍元首相の銃撃事件前に書き始められたということ。
鋭い作家が書いたフィクションが時間をおいて現実になるということは良くあることだ。この作品もそのような印象を受ける。
いつか映画化されるのではないかと思う。

安倍元首相の銃撃事件以降、日本の政治の闇が次々と暴かれている。
そして、国民不在の日本の政治が、これほど劣化していたという現実をつきつけられている。腐りきった日本の政治は、この物語のようにまともな方向に進むのだろうか。
島田雅彦さんのメッセージをキャッチしつつ、是非、多くの人に読んで欲しいと思う一冊である。

第40回 「二・二六事件」の日に

今日は「二・二六事件」の日だ。
東京新聞の朝刊「今日は何の日」に以下のように書かれていた。

陸軍皇道派青年将校によるクーデター事件。1936年2月26日の早朝、約1500人の兵士を率いて首相官邸などを襲撃。永田町、三宅坂一帯を占拠しました。

テレビで特集番組をやっていないかと新聞のテレビ覧を見たら、NHKBS1で特番の再放送をやっていた。
しかし、気づくのが遅く、見逃してしまう。
そのため、本棚から引っ張り出して、以下の3冊の該当部分を読むことにした。

  • 半藤一利著『昭和史』(平凡社)
    「第四章 軍国主義への道はかく整備されていく ~陸軍の派閥争い、天皇機関説~」
    「第五章 二・二六事件の眼目は『宮城占拠計画』にあった ~大股で戦争体制へ~」
  • 若槻禮次郎著『明治・大正・昭和政界秘史 古風庵回顧録』(講談社学術文庫)
    「第三章 政党時代 第十三節 砲車を牽く骸骨 斎藤内閣 暗殺また暗殺 軍備拡張に反対す」
  • 永井荷風著 磯田光一編『摘禄 断腸亭日乗 上巻』(岩波文庫)
    「昭和十一(一九三六)年 二月二六日、二月二七日」

二・二六事件は、陸軍の派閥争い(統制派と皇道派)が発端の軍事クーデターだ。
このクーデターは失敗に終わったが、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、岡田啓介首相と鈴木貫太郎侍従長が重傷を負った。
二・二六事件以後、軍部の発言が強化されるようになってゆく。

『明治・大正・昭和政界秘史 古風庵回顧録』は、私の学生時代の授業のテキストだった。
若槻禮次郎(1866~1949)は戦前に2回首相を務める。
今回再読した部分で、若槻は自分が所属する民政党の意見交換会で以下のように演説したと回想している。

(前略)国防の充実は財政との調和を計って行わなければならん。財政との調和を無視し、国民の負担を顧みないで軍備を拡張すれば、大砲は出来るだろうが、その大砲を牽く者は骸骨であることになる。

P348

さらに、民政党での演説会で以下のように発言したと述べている。

元来今日は、日本より進んで戦争をしかけなければ、いずれの国からも、日本は攻撃されることはないのである。故に国民は、断じてかかる詭弁(引用者注、軍備を充実しておかなければ、国家は不測の禍いを被ることになるという軍部の主張)に惑わされてはならない、と演説した。

P349

残念ながら、若槻の主張も虚しく、日本は戦争に突き進んで行ってしまう。
しかし今こそ、私たちは若槻の言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。

二・二六事件から87年目の今日、そんなことを思った。

第39回 Sさんの雪の句

昨日の午前中は雪景色だった。
「このまま降り続けると授業ができなくなるかも」と心配したが、雪は途中から雨に変わり、特に問題なく授業を行うことができてほっとした。

大人になると、雪が降るとうんざりする。
私の場合でいえば、「授業ができなくなるかも」「駐車場の雪掻きをしなければ」とか、「余計な仕事が増えて困るな」などと思ってしまうのだ。
純粋に雪を楽しめなくなっていることを残念に思う。

以下は、雪が降ると必ず思い出す句だ。

ゑみもしてあるくや雪の一日目

この句は、私の大学の先輩であるSさんの句である。
Sさんが当時所属していた俳句結社誌Kに掲載されたものだ(2001年4月号)。

そして、その結社の代表に取り上げられ、鑑賞もされていた。
この句、「笑み」と書かずに「ゑみ」と、そして「歩く」と書かずに「あるく」とひらがなで表記されている。
ここに雪の柔らかさ、ふわふわとした感じが出ていて、とてもいいなと思う。

Sさんは、大学時代から俳句を作り、学生にもかかわらず、東京にあったAという中規模の結社(会員・同人あわせて500人くらい)の同人だった。
若く、実力もあったため、結社の主宰からも可愛がられていたようだ。
しかし、主宰の急逝により結社Aは3つか4つに分裂した。
Sさんはこのどれにも属さず、まったく関係のない小さな結社K(神奈川県)に入った。
私は30歳前後の頃に俳句に興味を持ち、初学の初学のその時期にSさんから俳句の手ほどきを受けた。
その後、いろいろあって関係が切れてしまったのだが、それでもこの句をはじめとしたSさんの句は今でも大好きだ。

Sさんは当時の仲間(私の先輩)だった人たちとも関係が切れ、体調を崩し、長年住んでいた東京を去り、日本海側にある雪深い故郷に戻って行った。
その後、Sさんがどうしているかは誰も知らない。

Sさん、雪深い故郷で冬には雪の句を詠んでいるのだろうか。

第38回 池波正太郎 生誕100年

時代小説家の池波正太郎さん(1923~90年)が誕生して、今年の1月で100年を迎えた。
東京新聞では、1月30日と31日の紙面で特集を組んでいた。
30日の記事では、作家の今村翔吾さんが池波さんに対する熱い思いを述べていた。

池波作品を愛する作家さんは多い。
とくに、歴史小説や時代小説を書く方たちは、池波さんから大きな影響を受けているようだ。

私は、池波作品のほんの一部しか読んでいないのだが、登場人物たちは人情味があって、立ち居振る舞いがスマートで、とても魅力的という印象がある。
彼らは人間や社会の表も裏も分かっていて、それでいて情に厚く、正義感が強くて、こんな人が職場の上司だったり自分の師匠だったりしたら幸せだなと思う。

新聞の記事を読んで、久しぶりに池波作品を読もうと思い、『剣客商売』の第一巻を読み返している。
60歳の剣術家・秋山小兵衛、やっぱりカッコいい。
というわけで、最近は寝床で『剣客商売』を読んでいる。

根深汁すすり池波正太郎

この句は、昔(15、6年くらい前、もっと前かも?)に作ったもの。
自分でも気に入っている句です。