第92回 プロ野球選手名鑑

昨日から2024年の公式戦が始まった。
我がライオンズの開幕投手は作新学院出身、プロ8年目の今井達也投手だった。
今井投手は7回無失点11奪三振の力投で1勝目を挙げた。

今井投手をプロ1年目から現地で応援してきた私は、つい「今井君」と言ってしまう。

今井投手は入団当初は体が細く、良い時と悪い時の差が激しかった。そんな彼が、大きな体になり、ライオンズのエースとなって、初めての開幕投手を任されたのだ。
ファン冥利に尽きるというものである。

さて、プロ野球観戦の必需品は「選手名鑑」である。
毎年2月下旬になると、書店には複数の出版社の選手名鑑が平積みになっている。
私はコスミック出版の選手名鑑を購入している。
昨年までは大きめのもの(A5サイズ)を買っていたが、今年から同じ出版社の小さい方(A6サイズ)にした。

選手名鑑には、12球団の全選手、監督、コーチの情報が載っている。
選手については、これまでの経歴、身長、体重、年齢、プロ何年目か、過去5年分の成績と年俸などが載っている。
さらに、選手の特徴、今シーズンの期待なども書かれていて、ここがなかなかおもしろいのだ。

プロ野球好きの次男が小中学生だった頃、「選手名鑑クイズ」を行ったものだ。

「〇〇チームの野手」と決めて、出題者が選手名鑑に書いてある文章を読み上げる。
それを聞いて、解答者が「✕✕選手!」と答えるのである。

以下、一例を挙げてみる。
メッセージは今年の選手名鑑(コスミック社)より。

チーム「埼玉西武ライオンズ」

出題者:打って欲しいところで必ず打つ男。今季より単年契約。体力は経験と集中力でカバー

解答者:栗山巧選手!

出題者:正解!

こんな感じである。

そして、以下が私と次男のお気に入りのメッセージ。

(ベテラン選手に対して)まだまだ老け込む年齢ではない。今年こそもう一花咲かせたい

さて、塾経営28年目(講師歴33年目)の私も、「まだまだ老け込む年齢ではない」と自分に言い聞かせて、28年目の今シーズンもがんばります!

第91回 LEGEND GAME 2024

3月16日(土)に、埼玉西武ライオンズの本拠地ベルーナドームで「LEGEND GAME 2024」が開催された。
ライオンズ初のOB戦である。

チケットは発売されると即完売、当日は「満員御礼」だった。

ライオンズのOBたちが、ホームユニフォームを着た「チームLIONS」(東尾修監督)とビジターユニフォームを着た「チームSEIBU」(田淵幸一監督)に分かれての試合(7回まで)を行った。
工藤公康、郭泰源、伊東勤、秋山幸二、デストラーデをはじめとしたレジェンドたちが重い体に鞭打ってプレーした。

場内実況は文化放送の斉藤一美アナ、場内アナウンスはライオンズの黄金期を支えた田邉未知代さんだった。

たくさんのファンの前で、レジェンドたちが楽しみながら一生懸命にプレーしてくれた。
スタジアムが、ライオンズOBとファンが一つになった感動的な時間だった。

すばらしいプレーはたくさんあったが、とくに土井正博さん(80歳)のライトゴロ(実質ライト前ヒット)とエルネスト・メヒアのレフトスタンドへのホームランが印象に残った。

サプライズとして、ビデオメッセージで松井稼頭央監督から今シーズンの開幕投手が発表された。
作新学院出身の今井達也投手である。

試合中、過去のライオンズの試合を思い出しつつ、何度涙を流しそうになったことか。
夢のような時間を過ごすことができた一日だった。

第90回 お笑いライブ・イン・益子

3月9日(土)、益子町民会館ホールで「お笑いライブ・イン・益子」があった。
落語好きの私は、地元で落語を聴けるということで行ってきた。

第一部に出演された落語家さんは、春風亭柳橋、春風亭傳枝、桂夏丸、笑福亭希光、昔々亭昇の5氏。
いずれも落語芸術協会に所属されている噺家さんたちである。

5氏のうち、古典落語を演じられたのは2氏のみ、他の3氏は新作落語(だったと思う)。
もちろん5氏ともおもしろかったが、落語は古典の方が好きだ。
多くの新作落語は、どうしても漫才にはかなわないかなと思っている。

第二部は栃木出身の漫才師「U字工事」のお二人だ。エネルギッシュなしゃべり、地元ネタありで、最初から最後まで、非常に楽しませてくれた。
テレビで見るより数倍おもしろかった。

ずいぶん前(十数年前?)に、下野新聞で、U字工事さん宛に往復ハガキを送ると、彼らが「ごめんねごめんね」と書いて全員に送り返してくれるという企画があった。
冬から春頃の企画だったか。
私も参加した。


ハガキを送ったことさえ忘れていた秋ごろ(?)に返事が届いた。
この時、私はU字工事のお二人を応援し続けようと思った。 このハガキは家のどこかにあるはず。
見つかったら当ブログ上で紹介します。

第89回 鳥山明さん、逝く

3月1日、漫画家の鳥山明さんがお亡くなりになった。
68歳だったそうだ。

代表作「ドラゴンボール」は日本だけでなく世界中で愛されている。
我が家にも「ドラゴンボール」は全巻そろっていて、特に妻がこの作品(とくに前半部分)の大ファンだ。

私は「Dr.スランプ」派。
ちょうど小学生の時に「少年ジャンプ」で連載が始まり、毎週読んでいた。

当時の漫画家はデビューすると上京するのが普通だったが、鳥山さんは地元の愛知県名古屋市から離れることはなかった。
その点がとても新鮮だった。
また、「Dr.スランプ」の中で名古屋弁を使用し、名古屋弁を全国に広めたりもした。

鳥山さんの絵はとてもきれいで、オリジナリティーがあって、マンガの扉絵は一つの芸術作品のようであった。
新聞の記事で、鳥山さんが漫画家デビューする前は広告デザイナーをしていたということを知った。

鳥山さんのマンガに救われた人はたくさんいるはずだ。
すばらしい作品を残して下さったことに感謝しつつ、鳥山作品を再読している。

鳥山さん、本当にありがとうございました!

第88回 あれから13年

昨日で東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から13年が経った。

13年前のあの日は県立高校の合格発表日だった。
その年、全員が第一志望校に合格し、パソコンに向かって塾内向けのプリントを作っていた時に大地震が起こった。
その後、原発事故が起こった。あの時の恐怖と絶望感、悔しさは忘れられない。

それまで、国と電力会社は原発の安全神話を垂れ流し、原発の危険性を訴える人や集団を「危険人物」「危険な集団」とレッテル貼りをし、口封じをしてきた。
その結果があの原発事故である。

事故後、しばらくの間は原発を減らすような動きがあった。しかし、いつの間にか原発再稼働、原発使用年数の延長、原発の新増設など、原発を積極的に活用する方向に進んでいる。

地震が多い日本、しかも使用済み核燃料(核のゴミ)の保管場所さえ決まっていない日本である。
こんな日本に原発は向いていない。
能登半島地震があっても国は原発を積極活用しようとしている。
高濃度の放射性物質を含んだ汚染水は日々大量に発生している。そして「処理水」の海洋放出はこれからも続く。

福島第一原発事故の関連死の中には、生活苦による自死、将来の展望が持てないことによる自死も多いそうだ。
国は国民一人ひとりの生活や幸せを本気で考えているのか。
はなはだ疑問である。

第87回 新訳『歴史とは何か』

E.H.カー(1892~1982)の『歴史とは何か』(清水幾太郎訳、岩波新書)は、はるか30数年前、学生時代に読んだ。


「史学科の学生なら読まなければならない本、読んで当然」と言われていたので、古本屋で100円で買って読んだのだ。
読んだけれども、中身はほとんど残っていない。
せいぜいが以下の一文である。

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

この『歴史とは何か』の新訳が2022年に出たので、手に取ってみた。

近藤和彦訳の新版は371ページの大著。
実は、興味を持って読んだところは今回新たに付け加えられたカーの「自叙伝」と「略年譜」だった。

今回も、分かったようで分からない。
30数年前に読んだ時と同じような感想というところが情けない。

本当に、歴史とは何なのだろう?

第86回 九段理江著『東京都同情塔』

第170回芥川賞受賞作、九段理江著『東京都同情塔』を読む。

作者が「全体の5%くらいは生成AIを使っている」と発言し、文学界以外でも議論になっている作品だ。

正直、直木賞受賞の2作品と比べて読みにくいと思った。
これは芥川賞が「純文学」というジャンルの新人賞なので仕方ない部分ではある。

『東京都同情塔』の舞台は日本の近未来。
この物語は、現実とは違って、東京オリンピックはパンデミックの中、たくさんの犠牲者(死者)を出しながら2020年に開催される。
新国立競技場は、当初の計画であったザハ・ハディド氏が設計したものとなっている。

物語の日本社会は、異常なほどの寛容社会になっていた。
岡田斗司夫氏がいうところの「ホワイト社会」だ。
現実世界の日本もその方向に進んでいると思う。

「犯罪者」は「同情されるべき人々」で、彼らが快適に過ごす施設「シンパシータワートーキョー」(通称、東京都同情塔)が建設されている。
ジョージ・オーウェルのディストピアSF小説『1984』が頭に浮かんだ。

犯罪者にとって、「シンパシータワートーキョー」内はユートピアである。
好きな服を来て、好きな本を読んで、好きな映画を視聴して、快適に過ごせる。
しかし、実は完全な自由は与えられてはいない。
使用できない言葉があったり、自由に思考できなかったりする。
ここで暮らす人々は、使用禁止用語の存在自体忘れてしまっている。

ユートピアは、見方を変えればディストピアである。

『東京都同情塔』は難解な小説だった。
ちゃんと理解するためには、何回か読み返す必要がある。
時間を置いて、また読み返してみようと思う。

評判通りのすごい小説だったが、何かもやもやしたものが残った。
やはり芥川賞受賞作だからなのかもしれない。

第85回 河﨑秋子著『ともぐい』

河﨑秋子著『ともぐい』(新潮社)を読む。
この作品は第170回の直木賞の受賞作だ。
新聞や雑誌の書評などでかなり評判が良かったが、まったくその通りのすばらしい作品だった。

舞台は明治後期(日露戦争直前)の北海道。
主人公は猟師の「熊爪」という男だ。

「熊爪」は自然と共に生きる。
その生き方は、人間というよりも獣のようでさえある。
力強い文体で、最初から物語にぐいぐい引き込まれた。

詳しい内容は差し控えるが、当初の予想を裏切り、物語は驚きの結末を迎える。
いくつかの書評でその結末(熊爪の死)が衝撃だったと書かれていたが、本当にそうだった。

昔の猟師の生き方、野生動物の生態なども知ることができて興味深かった。

私は知らなかったのだが、河﨑秋子さんの「動物文学」は以前から定評があったようだ。
これから河﨑さんの過去の作品を読んでみようと思う。

第84回 立川談四楼著『談志が死んだ』

1月21日の東京新聞に、落語家の立川談四楼師匠のインタビュー記事が載っていた。
それを読んで、立川流の弟子たちの対談集『談志が死んだ ~立川流は誰が継ぐ』(講談社、2003年)を読み、その流れで談四楼師匠の『談志が死んだ』(新潮社、2012年)を読んだ。

談四楼師匠は七代目・立川談志の高弟だ。
私は談志のファンで、談志の高座を2回見たことが自慢である。
談志のCDはよく聴くし、年末にCDで談志の人情噺「芝浜」を聴くのが恒例となっている。

談四楼師匠は小説も書く噺家さんで、たくさんの小説を書かれている。
『談志が死んだ』は、入門から師の談志の死まで、自身と談志との関係と思いを書いた小説だ。

落語界の師匠と弟子という関係は非常に厳しいもの。
しかも、師匠が個性の強い、癖のあり過ぎる、あの談志である。
当然、尊敬、憧れ、嫉妬、葛藤、憎しみ(?)など、さまざまな感情が渦巻く。

小説『談志が死んだ』では、これらのことが包み隠さず書かれている。
さすが「小説も書く噺家さん」だ。
われわれ読者は怖いものを見るような感覚で、談志と弟子たちとのあれやこれやを知ることができる。
『談志が死んだ』は、たいへん魅力的な小説だった。

1983年、談志が弟子たちを率いて落語協会を脱退し、立川流を設立したのは、談志の弟子の談四楼さんと小談志さんが協会の真打ち昇進試験に不合格とされたことが原因。
その後の立川流の活躍は見ての通りである。

今日、2024年の2月25日は、落語協会が発足してからちょうど100年の節目の日。
その日にこの駄文を書いたのは、別に狙ったわけではありません。

第83回 西田井駅

関東地方で春一番が吹いた日、真岡鐵道の西田井駅へ行った。
実は、この駅に行ったのは今回が初めてである。

今から約40年前、国鉄の真岡線に乗って高校に通っていた。
真岡駅にあるオレンジ色のディーゼルカー(キハ20型ディーゼル動車)だ。
だから、高校時代の3年間、毎日西田井駅周辺の風景は見ていた。
当時は、「おもしろい形をした池があるな」と思っていたものだ。

いつかは西田井駅へ行ってみたいと思いつつ、人生の半分以上を過ぎてしまった。

今回、車で真岡へ行く途中に西田井郵便局に寄り、その時に西田井駅へ行ってみようと思ったのである。

西田井駅は無人駅で、昭和の雰囲気が残っていると感じた。
駅のすぐ近くにある池(ため池)は「西田井駅前公園」となっていた。
私の高校時代は「暗くてうっそうとした池」という印象だったが、きれいに整備されている。
釣りをする人も何人かいて、のんびりした時間が流れていた。

私は釣りはやならいが、釣りをする人を見ているのは悪くない。
「観る将」みたいな「見る釣り」か?
落語の「野ざらし」のまくらを思い出した。

近くにこんな素敵な場所があったとは。
真岡鐵道「西田井駅」を私のお気に入りスポットに追加することにした。